ただいま工事中です。(by 語り手)
1404年7月、ヴェネツィア共和国第63代ドージェ(元首)ジローラモ・コルナロ・カエターニは、クレタの別荘にいた。 この年、クレタでは本格的に布教活動が始まっており、ヴェネツィア軍は警戒のためクレタに配備されていた。 そのため、共和国軍最高司令官でもあるカエターニは、閲兵のためバカンスをかねてクレタを訪れていたのである。
「ドージェ、悪い知らせがございます。」 部屋をノックする音がして、神学者のセバスティアノ・サン・パウロが入ってきた。 「ナポリがアカイアに宣戦布告を致しました。」
アカイアは、アテネの南西に位置する。 アカイアは、ヴェネツィアの貿易政策上極めて重要な位置にある国であり、 そのため我が国はアカイアの保護を以前から諸外国に宣言していた。 先年、ビザンティン帝国が同国に侵攻した際には、我が国は出兵を行い撃退したのだった。 (アカイア防衛戦争)
アカイア防衛戦争と同時期、ナポリはアカイア北方の国家イピロスを攻撃し、滅亡させた。 アカイア攻略の足掛りはすでに整っていた。
「我が同盟国のフェッラーラはナポリとも同盟を結んでいましたね。 ヴェネツィア本国に軍隊が不在の中、フェッラーラが敵にまわるとやっかいです。 ちょっと様子をみましょう。」 カエターニは言った。
「フェッラーラはナポリとの同盟を解消したようです。」 「ならば、アドリア海から援軍を上陸させなければ、4倍の兵士数を有するナポリに対しても 十分勝算があります。 アカイアからの援軍要請に対する回答はぎりぎりまで延ばし、 まずはクレタ駐留の全兵力をアテネに輸送しましょう。」
同年8月、イピロスの旧首都ジャニナに突如現れたヴェネツィア軍に不意をつかれ、ナポリ軍は総崩れとなった。 ヴェネツィア海軍に行く手を阻まれ、ナポリは援軍を送ることもできず、国威は下落した。 同年9月、激怒したナポリはヴェネツィア通商同盟からの脱退を宣言したが、 その程度の報復しか我が国に行うことができなかった。 1405年4月、ジャニナは陥落した。
「パウロ、相談したいことがあるのです。」 ある日、カエターニはパウロを呼んだ。 「ジャニナを領土に加えるべきか、独立させるべきか、あなたはどう思いますか。」
「非常に難しい問題ですね。」 パウロは言葉を切った。 「ジャニナを領土とすればアテネとアルバニアを陸続きとすることができ、 オスマン帝国に対する防波堤とすることができましょう。 しかし、クレタでは狂信者がいつ暴発するかしれず、今の我が国には軍を二分にする余裕はない。」
「とはいえ、ジャニナを独立国とすればオスマン帝国にイピロス、アカイア、モレア、コルフと 各国を撃破され、南方の領土は陸の孤島となる可能性もあります。 実に難しい。」 「だから私も悩んでいるのです。」
「先年のビザンティン帝国との講和条約締結の際に、先代のドージェが言われたことがあります。」 「ほう、どういったことを。」 『我が国のように軍事力に乏しい国は、長年に渡り駐留部隊を常駐させる余裕はない。 駐留部隊を裂かずに利権を拡大する条件で講和を結ぶほうが、いまの我が国にとって利は大きい。 時間を稼ぎ国力を蓄えれば、いつかきっと北と東の脅威に脅えずとも済むときがくる。』 「・・・」
「難しい選択ですが、熟慮の上、良き『舵取り』をなされますよう。」 「・・・分かりました。助言をありがとう。」
同年5月、ナポリとの間に講和条約が成立した。 条件は以下の通りだった。
後年、この戦いは通称「イピロス解放戦争」(正式名:ナポリによる侵略戦争)と呼ばれることとなった。
【身の程を知る。】
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