ナクソス公国は、1207年にヴェネツィア共和国がエーゲ海での権益を獲得するために 設立した群島国家である。 公爵家は、元々はヴェネツィアの貴族である。国家が成立した経緯からも 非常にヴェネツィアに近い国であった。 エーゲ海での寄港地をヴェネツィアに提供し、戦争の際には必ず軍を派兵してきた。 ヴェネツィアとナクソス公国は運命共同体のような関係であった。
ヴェネツィア共和国がナクソス公国を最初に共和国領へ編入しようと 画策を始めたのは、1430年代前半である。 オスマン帝国から『警告』を受け、領土拡大のための戦争を仕掛けられなくなったため 当時のドージェ(元首)アンドレア・サン・パウロ コロンナは、 ナクソス公国を編入することで国力を増強しようと考えたのだ。
実際、アテネとつながる領土がなかったため、万一オスマン帝国に攻撃されると、 アテネの守備隊は全滅するしかないという事情もあったため、 隣り合わせの領土は必要であった。
だが、贈物を献上してみたものの、ナクソス公国を統治するクリスポ家の当主 公爵ジョヴァンニ2世には領土を手放す気が全くないことが判明し、 この当時は両国間で通行許可条約を締結するに留まった。
1460年代初頭、第68代ドージェ(元首)ヴィターレ・ドルフィン ナーロは、 ナクソス公国に併合を申し込んだ。 しかし、すでに老齢だった公爵ジョヴァンニ2世は、 「私の目の黒いうちは、ヴェネツィアとの併合など認めはしない!」 と怒り出し、交渉は決裂した。
(ちなみに、このジョヴァンニ2世は1399年のGC開始時点で、 既に元首だったという、とんでもない長生き爺さんである。)
それ以降、ヴェネツィアとナクソスとの間には気まずい空気が漂っていたが、 1469年の第1次フリウリ征服戦争終結時に、アクイレイアから獲得した多額の 賠償金の一部を参戦の御礼として贈ったところ、 ようやく両国の関係は改善した。
1495年1月、第71代ドージェ(元首)ファブリツィオ・ポラーニ オデスカルキは ナクソス公国の公爵ジャコーモ1世に併合を持ちかけた。 ジャコーモ1世はこれを断ったが、オデスカルキはこれで諦めるような男ではなかった。
贈物や接待攻撃でジャコーモ1世に粘り強い交渉を行ったオデスカルキは、 1495年8月、ついにナクソス公国併合書に調印させることに成功した。 「統合が容易な分野もあるが、本当の苦労はこれからだ。 しかし、長い間にはきっと融合していくだろう。」
こうして、ナクソス公国は栄光あるヴェネツィア共和国の一員となったのであった。
【合併って仲が良くても大変ですよ。】