AAR/聖ヨハネ騎士団東征録

前回Hospitaller(5)

アナトリアの番犬=狂犬

1502年6月、BBRに余裕があるので併合できそうなアッシリアに宣戦。

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同年8月にアッシリアを併合する。これでBBRは8.2。

1504年4月、税収増の為に3つ目の国策は官僚制度を選択。

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また、占領地改宗の為に礼拝統一法も可決する。

1504年4月、ミッション「コソボ征服」開始と同時にイスラム国家として復活したアルメニアに宣戦。

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同年9月にアルメニアを併合、さらに10月にはコソボを割譲させBBRは13.3。

1505年10月、イピロスをカソリックに改宗させ講和。

1506年4月、コソボ征服時に付いて来た敵国との戦争が続く中、フルク2世が戦陣没。

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ボルドウィン6世が総長となった。

同月、クロアチアにモンテネグロ及びラグーザを独立させ講和。

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共に1州しかないので征服ミッションで併合の予定だ。

1506年6月、敵国盟主モスクワに25ダカットを払い講和。 騎士団は正当性が無いので敗北しても痛くないのが良い所だ。

1507年12月、ブルガリアに対する征服ミッションを開始する。

1508年5月、ブルガリアと1州割譲とカソリックに改宗で講和。

同月、グルジアに異端浄化で宣戦。 9月にカソリックに改宗させ講和する。

裏切り

1508年12月、同盟中のイングランドからブルゴーニュによる侵略に対する救援要請が来るので受諾。 騎士団が盟主となる。

1509年4月、モルダヴィアに異端浄化で宣戦。 翌月にカソリックに改宗させ講和。

1509年6月、イングランドの大陸領がブルゴーニュに占領されたところでブルゴーニュから痛み分けで講和の要請が来るが拒否。

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盟主である騎士団が取った行動は…

イングランドの大陸領をブルゴーニュに割譲し講和するという行為であった。

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この講和によりイングランドは大陸領を失い、後に170年戦争と呼ばれる国境紛争は終結を迎えたのであった。

対向宗教改革

1509年7月、ヘルダーラントにて改革派が誕生する。

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1509年11月、測量単位の統一を可決する。

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1510年5月、ボルドウィン6世逝去。

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ボルドウィン7世が総長の座に就く。

1513年8月、ブランデンブルクの議会にて対向宗教改革が決定される。

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これで改宗イベントが落ち着いてくれれば幸いである。

1516年9月、いつのまにかコンスタンティノープルがプロテスタントのリガ領になっており、

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ミッションにてリガ浄化が発生したので宣戦。敵国には北ドイツ諸侯や北欧各国がいるが、 間には中立国が大量にあるので怖くはないだろう。

1518年10月、厭戦感情が増大したところでようやくリガが改宗を受け入れ講和となる。

東進!

1519年11月、インド辺りまでのプロヴィンスを発見している状態になっていたので東征を再開する。 まずはカスピ海沿岸国ペルシアに侵攻。

1520年9月、ペルシアにカスピ海沿岸の2州を割譲させ講和。 飛び地となってしまったので領土を繋げるべく、さらにカラ・コユンル朝に宣戦する。

1521年1月、ボルドウィン7世が戦死する。

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イベントと合わせ安定度が1に下がっており税収の低下が気になるところ。

同月、カラ・コユンル朝を併合し飛び地を無くした。

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BBRは8.9。

そして次に発生したミッションが「モスクワを攻撃」。 遂に北の大国であり正教の守護者であるモスクワと全面戦争になっていく所で、次回Hospitaller(7)へ…


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