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ストックホルムの血浴 |
宮殿の執務室にまで響く鎚音は、港から聞こえるものだろう。第一次海峡戦争で壊滅した海軍の再建は急務 だった。 デンマーク王宮にて。
おまえのおばさん、で~べそ(さるスウェーデン貴族の手紙より) |
エイリーク7世は凍りつく。王の叔母といえば、マルグレーテ女王のことに他ならない。国王親政が始まり 一線を退いたとはいえ、未だに頭の上がらない相手だ。 二度にわたる海峡戦争の敗北で、デンマークの威信は地に堕ちた。 「あんな小都市ひとつ陥とせないのか」とスウェーデン、ノルウェーの諸侯は軽侮の色を濃くしている。そ うでなくとも、度重なる戦費の増大には不満が高まっているのだ。 独立心の強いスウェーデン貴族の間で、このようなデンマーク王家を侮辱する文書が回っていることを、エ イリークは突き止めていた。問題は、この手紙の内容がマルグレーテ本人にも知れてしまったことである。 「叔母上はお気になさらず。私が解決いたします故」 「おだまりなさい! 貴方は今度こそハンブルクを陥とすのです」 王といえど、老いてなお意気軒高な女傑を止めることができなかった。
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デンマークの誇る肝っ玉母さんこと、マルグレーテ |
数ヵ月後、多くの独立派スウェーデン貴族が処刑されるという事件が起きる。世に「ストックホルムの血浴」 とよばれる惨劇は、デンマークとスウェーデンの連合を決定的に引き裂いた。 1421年3月23日、エイリーク7世が崩御すると、デンマーク王ハンス1世に対し、スウェーデン王ヨハン2世、 ノルウェー王オラヴ5世が立つ。北欧統一の大事業を成し遂げたカルマル同盟はわずか一代にして潰えてしまった のである。
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アントウェルペンのハンザ商館 |
2度の戦争を切り抜けたハンブルクは、豪商アルブレヒト・リープの指導下、積極的な貿易活動を展開する。 リューベック、アントウェルペン、ノヴゴロドといった従来のハンザ市場に加え、地中海の女王ヴェネツィア への進出に成功。ヴェネツィアはイタリア半島からバルカン、アナトリアまで広がる広大な交易圏を有する一大 商業都市であった。 いずれは「バルト海のヴェネチア」ともよばれたいものである。
「今後はジェノヴァ、イル・ド・フランス、アンダルシア辺りにまで交易の手を広げていきたいですな。ただ、 現状では難しいと言わざるを得ない。この都市は基礎収入が少なすぎる」 歯に衣着せぬアルブレヒトの物言いには総督フィリップ・バーゲブールも苦笑するしかない。 (貴方の給料もかなり財政を圧迫しているんですがね) また、1421年にフィッシャーなるデンマーク貴族がスレースヴィで蜂起する。反乱に備える軍費も小さいもので はなかった。
それでも、有能な商人あってこそ、ハンブルクは他国の市場で競争に負けずにいられるのである。僅かなりとも 街が発展しゆくのを感じて、市参事会はこの路線が誤っているとは思わなかった。このまま十年、二十年と続けて いけば、いずれ……。何事もなければ……。 無論、何事もないはずがないのである。
1424年3月2日、デンマーク王国の宣戦布告。 カルマル同盟は解体したが、デンマーク側には同盟国ノルウェーが加勢する。 一方のハンブルクには神聖ローマ皇帝のクレーフェ公が参戦。いささか頼りない主君だが、海軍さえ健在ならば 今度も迎え撃てると市参事会は信じていた。実際、海峡の制海権は相変わらずハンブルクが握っていたのである。
7月5日、スウェーデン、宣戦布告。
「ストックホルムの血浴」以来、スウェーデンとデンマークは犬猿の仲だ。同じ敵と対峙する者同士ということ でスウェーデンとの連合を提案する議員もいただけに、この事態がもたらすものは大きかった。 12月20日ゴトランド島陥落の報を受け、市参事会はデンマークとの早期講和を図る。 ユトランド、フュン島、シェラン島と陥とし、海上に出てきたデンマーク艦隊を撃破する。とかく早急に遂げ ねばならない。5隻のキャラック艦隊を率いる提督ユリウス・ビリングは出港を命じた。
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第三次海峡戦争。デンマークとスウェーデンの挟撃に遭う。スウェーデン軍はゴトランド島を強襲。 |
1425年9月27日。エーレスンドで海戦がおこなわれている最中、講和が締結される。ユトランドをハンブルクに、 フュン島をクレーフェに割譲、賠償金50万グルデン、スレースヴィ領有権放棄。 デンマークはここでとうとう大陸から追い落とされたのである。 「提督、東方から艦隊が!」「まったく、休む間もないな」 今度こそ味方ではありえない。デンマークには辛くも勝利した。しかし、スウェーデンは質・量ともに上回る 大敵なのだった。 「怯むな! 俺たちが退けば敵はハンブルクにまで攻め入ってしまうぞ!」 提督の檄も虚しく、数で押し切られたハンブルク海軍は初めてエーレスンドの海戦に敗北する。彼の言葉の通り、 それは即ち敵の上陸を許すということでもあった。
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首都陥落。精強なフィンランド騎兵に、市民主体のハンブルク陸軍はまるで歯が立たなかった |
ハンブルクの陥落。再びの海戦にも敗れ、呼応したスレースヴィでの反乱。 総督フィリップ・バーゲブールは敗残の軍をまとめながら、スウェーデン王の使者を迎えた。 ゴトランド、ユトランドの割譲と32万グルデンの賠償金はとりあえず順当な条件であった。しかし、今後は地続き となったスウェーデンの脅威を常に感じていなければならない。
陰鬱に首都へ戻ったフィリップを迎えたのは、想像を超える惨状だった。 スウェーデン軍の略奪にさらされ、街も城壁も、市庁舎も瓦礫の山と化していた。死体が積み重なって、いつ疫病 が蔓延してもおかしくない。総督はしばらく呆然と見つめていた。 「父祖の守ってきた街をこのような目に合わせ、同胞の血で購った領地を不甲斐なくも奪われた。首をくくって死ん でしまいたい……!!」 鬱々と復興に着手したフィリップ・バーゲブールであったが、人々は、農民から商人、職人、貴族まで普段いがみ 合う諸階層は一致団結して彼に協力した。 ハンブルク市民は戦時中、劣勢におかれても怯まない総督の指導力を忘れていなかったのである。 2度の再選を果たし、都合12年間の長期政権はその後のハンブルクの方針も決定づける。 「これからは海軍だけでは駄目だ。軍の抜本的な再建をしなければ」 陸軍改革論者ハルトヴィン・フィックを登用、富国強兵策を推し進めていった。
ヨーロッパは相変わらず方々で戦争が起きていた。 英仏戦争を優位に進めるフランスはブルゴーニュ公国とも戦端を開き、低地地方にまで進出し始めている。 1430年、ナクソスの継承位をめぐり、オーストリア・ハプスブルク家とミラノ・ヴィスコンティ家が激突。 ユトランドという外海への足がかりを確保したスウェーデンも野心を隠そうとはしなかった。 1433年に独立保障、1434年に警告と、ハンブルクに重圧をかける外交攻勢はデンマークと変わりない。
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バルト海大戦。バルト周縁諸王公国を巻き込む |
1435年、フィリップ・バーゲブール死去。その半生をハンブルクへ捧げた。
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ルーシ最大の商業都市ノヴゴロド |
今日も、民会の鐘が鳴る。 外から公を招いて「ノヴゴロド公国」を称しながら、実態は都市民による共和政体を布く特異な国家だ。 軍事以外の行政は市民に選ばれたポサードニクとよばれる市長を中心として行われるというから、ほとんど 我がハンブルクと変わりない。 13世紀に東欧を襲った悪夢、モンゴルの侵攻を幸運にも逃れ、モスクワやキエフのように“タタールの頸木” に苦しむこともなく商工業の発展を遂げてきた。
「おお、寒い」 ハンブルクの冬もそりゃあ寒いけど、こっちのはけた違いだぜ。フリッツはぶるるっと震えてウオッカをあおる。 火傷しそうなくらい暖炉にしがみつくが、まるで暖まらない。 「おまえが特別寒がりなんだよ。まあ、ひと冬越せば慣れるさ」 傍らのテーブルでカードに興じる仲間たちが笑う。うるせえやい。
アントウェルペン、ロンドン、ベルゲンと並ぶ、ノヴゴロドのハンザ商館。 春になれば毛皮や木材を満載した商船が出港するであろうルーシの玄関口だ。また、黒海や中央アジアとの連絡路 ともなる要衝であった。 「フリッツ、お客さんだ」 「よう、イワンか」 イワンはノヴゴロドの商人だ。リガで蜜蝋の取引をして以来の友人だった。 「今時間あるか? 少し話がしたいんだ」「う~ん…………」 友の来訪はうれしいが、この寒い中で動きたくない。フリッツが怠慢から渋っていると、 「ボルシチを御馳走するよ」「行く」
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ボルシチ。ロシアというよりウクライナの伝統料理らしい |
「それで、話なんだけど」 「ボルシチはまだ?」 「家内がつくっているからもう少し待て」 友人と見込んで打ち明けようと思うのだが、人選を誤ったかとイワンは不安になる。 「今日の民会で議題にあがったことなんだ。ハンブルクとの同盟を結びたい。これまでの商業同盟ではなく、軍事 同盟を」 「え?」 てっきり商売事だと思っていたフリッツは呆けた声を出す。あまり政治向きの話は詳しくないのだけど。 「おまえ、総督と懇意だって言ってたよな。内々に訊いてみてくれないか。脈がなければ、この話はなかったこと にしてくれていい」
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コンスタンティノープル陥落 |
1442年9月、ヨーロッパを揺るがす事件が起きる。 オスマン帝国のスルタン、ムスタファ2世がコンスタンティノープルを陥とし、ビザンツ帝国を滅ぼしたというのだ。 ハンブルクにとっては何分遠方のことで、特別影響も感じられなかった。だが、同じギリシア正教国として、ノヴゴ ロドにはその盟主の滅亡が衝撃であったらしい。 公国はふたつの脅威を抱えていた。スウェーデン王国とリトアニア大公国である。 2大カトリック教国に挟まれて、いかに独立と信仰を保つか。民会の議論は一年以上それに終始していたのだ。
「正直、ノヴゴロドは遠すぎる。軍事同盟というが、役に立つのかね」 「だが近場のドイツ諸侯も当てにならん。もうポメラニアなどと組むのは御免だ」 「ノヴゴロドと同盟すればスウェーデンへの牽制にはなるだろう。しかし、我々はデンマークとも敵対している。彼ら はどちらに着くつもりなのだろうか」 「ノヴゴロドの戦争に巻き込まれるのも厄介だな。モスクワ公国やモンゴル、リトアニアなどを相手にする余裕はないぞ」
顧問団の議論を聞きながら、ハンブルク総督ヴァレンティン・アムジングは黙考していた。 彼らの言はいちいち尤もだ。されど、先月の選挙で総督となったばかりのヴァレンティンには最初の施策である。 ハンブルクはこれまで同盟関係を重視してこなかった。婚姻が結べないという事情もあるが、一戦一戦に精一杯な小国 であるために、他国の信用など考えている余裕がなかったためだ。 しかし、カルマル同盟の強大さは身を以て知っていることであるし、今のハンブルクが単独でスウェーデンら大国に敵う とは思えない。 「これは、良い機会なのではないでしょうか」
両国間でフリッツとイワンが奔走した結果、1444年1月1日にハンブルク・ノヴゴロド軍事同盟締結の運びとなった。 これがその後数百年と続く歴史的外交となるとは、関わった人々の誰一人として思いもよらなかったに違いない。