しばらくマップが赤く染まっていく様を見ていると、安定度が3まで上昇した。 すかさずナショナルアイディアを軍事演習へ切り替える。安定度0に逆戻り。 インドはラージプート・グシャラートまで制圧した。 ティムール領内での反乱はほぼ無いが、占領地では年に数回反乱軍が沸く。
1405年2月4日 ティムールが死亡。ほぼ史実通りの時期だった。 後継者はミラン・シャーの息子ハリール・スルタン。 能力は4/6/5(内政/外交/軍事)と微妙。軍事6が欲しかった。 継承権争いが起こり、反乱発生…… 非中核州全てで反乱が起きていた。テストプレイでも同様だったので、そういうシステムらしい。 ほとんどは2000とか3000とかの弱小だが、その総量は侮れない。 シンド-カシミールの線からバローダ-デリーの線まで全てが反乱軍で埋まっている。 西方も合わせると、計30を越す大反乱だ。あとデリー反乱軍だけなんか桁が違う。
放置するわけにもいかないので、ゲーム速度を緩めて丁寧に殲滅してゆく。 幸いにも本国では反乱がほとんど起きなかったため、いくらか戦力を引き抜いた。 同時期にプロビがいくつか転向し、イエメンやゴンドワナ、ビハールと国境を接したが、交戦状態にはならなかった。 継承争い中は反乱鎮圧に専念しろということらしい。助かった。
反乱が一段落し、安定度も回復してくると、ようやく資金に余裕が生まれ始めた。 陸軍を増設し、アジャム周辺のシーア派プロヴィンスに宣教師を派遣してゆく。 現地改宗成功率マイナスがあるため、国の焦点と神学者でブーストしても改宗成功率年10%ほど。 これだからイスラムは……
継承権争いが終わると、外征が再開される。 新たに敵となったのはイエメン・ゴンドワナ・ビハール・ネパール・ハンデシュ・デカンの6カ国。 うわ、何か包囲されてる……もちろん各個撃破を狙う。
1415年 イエメンをアラビア半島から追い出し、同地域の支配を確立。 イエメンとは紅海を挟んでにらみ合いを続ける。というか制海権取れない…… 軍備に余裕が出来たので、オスマンの小アジアを征服に向かう。 インド方面はほぼ制圧し、ヴィジャヤナガル・オリッサ・ベンガルを全土包囲中。 北方ではカザフスタンがチベットを制圧してくれたので、明との緩衝地帯になりそうだ。
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1413年の地図。インドのほぼ全域を手中に収めた。反乱鎮圧のため、ビルマ方面への侵攻速度は急激に低下。熱帯やジャングル、山岳の補正も厳しい。 |
1417年 マムルーク朝と開戦。ティムールを危険視し始めたのか、なかなか和平に応じなくなった。 仕方ないのでオスマンと和平し、同戦線から戦力を引き抜く。 オスマンから奪えたのは突出部の3州だけだが、戦線が短くなってだいぶ楽になった。 まだマムルークに侵攻する余力はないので、ティムール領に来た敵軍をひたすら叩き続ける。 一年ほどもぐら叩きを続けていると、和平が可能になったので敗北を認めておく。
1422年 インフレ低下+0.12の顧問が居たので雇っておいた。これで資金に余裕が出来た。 直後に官職の売却が発生。もちろん売り払う。 国税修正が一時下がる代わりに、即金で1350ダカットを取得。。
1423年 気を取り直してオスマン侵攻。今度こそ小アジアを制圧した。 ロードス島がナポリ所有になっており、西欧と初の接触。 ヨーロッパ側のオスマン・ビザンツとは、海峡を挟んでにらみ合いを続ける。 さようならオスマン。次に会うのは50年後だ。 ……海軍がないから手が出せないよ。
1428年 ついに明と接触。ビルマ国境の山岳地帯に全軍を集め、明の大軍を迎撃。 こんな所に7万とか何考えてるの!? 一発で厭戦が跳ね上がったらしく、すぐに和平を受け入れてくれた。 南東では大越が大国化、アユタヤまで進出している。
1431年 マムルーク朝が非常に鬱陶しいので、シリアから追い出すことに決定。 動員可能な戦力は全て国境に集結させる。 軍を4万ほど潰してやると大人しくなったので、スエズを主力で封鎖しつつ、シリアの包囲を始めた。 インド方面は兵力に余裕が出てきたので、デリー周辺から改宗を進めてゆく。
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1431年の地図。ビルマからトルコまでを制圧した。シリアの国境線を見れば、マムルークを叩きたくなる気持ちがよく分かるはず。政務官?何それ美味しいの? ……顧問を売る暇なんて無かったのです。 |
1432年 何かキプチャクが弱体化してる……と思ったら、摂政評議会。君主が死んだのか。 正当性が50、国威40にまで低下していた。 摂政評議会は正当性に年-4%の修正が付くので、このまま放って置いたら反乱祭りで崩壊してしまう。 というわけで、キプチャクを保護することに決定。 どうやって? 簡単だ。正当性が低いなら、正当な君主に治めさせればいい。 おもむろに歩兵を4万ほど徴兵すると、キプチャク国境に兵を貼り付ける。 マムルーク朝、大越と三正面作戦になるが、今更正面が一つ増えた所でなんともない。
1433年1月1日 怪文書の作成が可能になったので、キプチャクに宣戦布告。安定度マイナス1。 安定度を1上げるのに、なんと6年もかかるらしい。 カラ・コユンル、カザフスタンもハイエナのごとく群がっている。やめてサライは取らないで。 中国戦の時期も近づいてきたので、ペグー・大越に敗北を認めさせて和平。軍を中国国境へ。 同4月1日、明と開戦、速攻で和平。
キプチャクとの国境、カフカス周辺で激戦が繰り広げられる。 宣戦時には3万だったキプチャクの総兵力が5万まで回復していた。 苦戦を強いられているが、包囲部隊を引き抜くことで、どうにか撃退している。 足場を固めつつ、地道に進軍する。 翌年には首都サライも陥落した。
1435年、イェルサレム征服。 マムルークはこのまま併合してしまおう。 ……カスティーリャとの接点だけ残して。
キプチャクと同君連合で和平。 本当は反乱鎮圧のために、北部まできっちりと地図を得ておきたかった。 しかしキプチャクの総収入が大幅に落ち込んでおり、限界と判断したためにこの場で和平した。
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同君連合成立! でもこの後キプチャクは衰退していく。 |
1437年 マムルーク朝制圧完了。 キプチャク戦で雇用した歩兵達が財政を圧迫していたので、解散させる。
1438年 大越および明と交戦。そんな余裕はないので和平しておく。 直後に大越からスコータイ朝が独立、これ幸いと占領しておいた。
1443年 大越と開戦。スコータイ朝・チャンパを失ったことで、国力が落ちている。 明にはひたすら頭を下げ続ける。 ここでキプチャクを見てみると、なんかボヘミア相手に無双していた。 どうやらティムールが同君連合の上位になっているため、 敗北を認めても正当性が下がらないというミラクルな状況になっているらしい。
1445年 北アフリカでカスティーリアと接触。どうも壁として残しておいたマムルーク朝を食ってしまったようだ。 1万5千の軍が見えたので、即座に謝る。ティムールの正当性は年7ずつ回復するのだ。 東南アジアではマラッカと接触。マレー半島とスマトラを支配しているようだ。 沿岸への強襲が非常に鬱陶しい。その上熱帯だ。損耗に注意しながら慎重に軍を進めていく。
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マラッカが一大勢力に成長している。海軍国相手はやりにくい。 |
1452年 スワヒリと交戦。流石に征服しても維持できそうになかったので、朝貢を要求して和平。
1457年 君主が死去、継承権争いが勃発。非中核州全土で反乱が起きた。 ムガル帝国建国の条件を満たしたので、反乱を鎮圧次第建国したい。 同時に大越が屈服。東南アジア全土を手中に収めた。
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恐ろしい数の反乱。画面に収まりきらない。 |
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西部の反乱。こっちはまだ対処できそう。 |
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東部の反乱。手に負えないかもしれない。東南アジアを切り捨ててインドへ兵を回したいが、反乱軍が立ちふさがっていてはそれも出来ない。それにしても汚いSSだなあ……メッセージウィンドウと右上くらい消しておけば良かった。 |
1459年3月4日、ムガル帝国を建国した。 3月14日に継承権争いが終わるので、開戦する前に政体を変更しておきたかった。
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ムガル帝国建国……と同時に最大版図。一瞬のきらめきである。 |
……ムガルに変態したのはいいが……なんじゃこりゃ? キプチャクと同盟・同君連合組んだまま戦争してる。セーブ・ロードしても変化無し。 おまけに各遊牧国家も同盟を組んだまま一斉攻撃してくる始末。 君たちは盟友でもかまわずに食べちゃうのかい? わけがわからないよ。 厭戦が跳ね上がり、反乱が頻発。反乱軍を狩るとさらに厭戦上昇、反乱発生と負のスパイラル。
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ムガル側に立って遊牧国家群に宣戦布告してくれたキプチャク。でもムガールと交戦中の文字も……他の遊牧国家も同様だった。 |
1461年 カラ・コユンルと和平。 ペグー、ブータン、ヴィジャヤナガルが独立。
1462年 デカン・ハンデシュ等々独立。 カザフスタン・チャガタイと和平。旧首都サマルカンド陥落。 反乱軍は一向に減らず。これはもう駄目かもわからんね……
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末期のムガール。反乱軍の数は減ってきたが、厭戦は上がり続けている。損失は大きく、既にインドの半分を失った。 |
ムガル変態直前に戻って、ティムールのままで反乱鎮圧を試みたが、やはり無理そうだ。 外敵(明とカスティーリャ)は和平に応じてくれるものの、インドの反乱を処理できない。 異教・異文化・非中核のインド侵攻は、流石に時期尚早だったようだ。