1651年 どこにも保障されていないモンゴルに、部族間の不和で宣戦。 イギリスと交戦、マリ沿岸を奪い取る。 スイスを属国解除して併合。
これだけの戦力差で負けたりする。流石グスタフ式歩兵。
1653年 カスティーリャから奪えるだけ奪って和平。 マレー周辺、マリ沿岸、マンスターを奪取した。 3州国フィンランドに中核州が2つある。これはもう戦争しかあるまい。
1654年 ソンガイ発見、交戦。
1656年 ブリテン領マリが完全に屈服。ハウサと交戦する。 マリにティムール領グレートブリテンとの表記が……なぜだ。
マラッカ消滅。ブルネイ(リアウ島にいる)およびマタラムと交戦。 ここへ来て軍の増産が追いつかない。 中東から増援が到着次第、島嶼へと派兵する。 欧州がイスラム化したために、資金的には相当余裕が出来ていた。
ポルトガルと交戦。マディラとカナリア諸島をいただく。 この2州は、ティムールが新世界へ羽ばたくための、橋頭堡となるだろう。
1660年 頻繁に逆上陸を仕掛けてくるようになったので、一旦ポルトガル・カスティーリャと終戦。 次に戦うのは、アフリカ内陸部を制圧してからだろう。
イギリスはまだアゾレスが転向しないので放置。
1662年 統治技術が22に。国策として新世界の探索を取る。 アゾレス諸島の屈服を待ってイギリスと和平し、航路の安全を確保した所で探検家を新世界へ向かわせる。
1663年 カスティーリャ領ブラジルを発見。 イスラムの学問の拠点を建設。暴動発生率マイナス1。改宗成功率も2.5アップ。
1668年 イギリスと交戦開始。カリブ海の島々を狙う。
最初の揚陸戦は結構ぎりぎりの戦い。要塞を落としたら即船団を寄港させる。 大陸間戦争はやはり橋頭堡がないと辛かった。