1502年
ユトレヒトの必要州が転向。これよりフランス侵攻作戦を開始する。 ミラノ・バロワを属国化解除し、ユトレヒト侵攻とタイミングを合わせる。
州の包囲が完了した所で、一斉に強襲開始。 落とすタイミングを一致させることで、州の転向するタイミングもある程度合わせることが出来る。
包囲が完了したところで一斉に強襲をかけ…… |
一月以内に主要州全てが陥落した。 |
この時点でフランス軍は4万。宗教的内戦は先ほど終わったようだが、厭戦感情が高いままだ。 しかも破門付き。
1504年 陸軍レベル18に。軍事戦術プラス1。
明を発見。チャガタイとシビーリを突破してきたらしい。 戦うべきか? 冗談じゃない、西でフランス戦を控えているんだ。 中央アジアは補給限界の低い州が多い。明も大軍を投入しては来ないだろう。 何より今の明は正当性がわずか20で天命を喪失している。 というわけで国境に軍を詰め込んで放置。
バッドタイミング。しかし絶賛崩壊中で、明の軍勢は一度も国境を越えることがなかった。 |
そして1555年12月3日
ついにフランスと開戦。
国境の州が一気に転向。残りの州は翌月に転向した。 |
兵を16万にまで回復させた根性は認めてやるが……
十分に引きつけてから予備隊を投入する戦術で、地形効果を得つつ戦闘を進める。
イタリア戦線。フランス軍を不利な地形へ引きつけた後に主力を投入、敗走させる。 |
低地地方の戦い。こちらでも各個撃破が有効だった。 |
ブルゴーニュ方面は兵力がいなくて切りとり放題。 |
アントウェルペン・ロンバルディア・ブレダ・ヴァランシエンヌで各30個連隊を殲滅。 優秀なフランス軍に勝つためには、倍の兵力を投入しても難しい。よって3倍の兵力を投入する。 兵力比がまるっきり攻城戦のレートだった。おかしいな、野戦してるはずなんだけど…… 厭戦を下げるために、要塞を突撃で落としていく。何か違うような気もするが、気にしてはならない。
各地で勝利を重ねるティムール軍。 |
この時点でフランス軍、残り6万。
ニースでも30個連隊程度の部隊を殲滅。 AIはだいたいこの程度の部隊に分けて運用してくるから与しやすい。 ただし戦線が狭いとボヘミア戦のような悲劇になるが……
北伊戦線の天王山となった戦い。パルマのフランス軍が動いていたら、勝敗の帰趨は変わっていたかもしれない。 |
抵抗も虚しく降伏。パルマの軍は結局動かなかった。これが戦場の霧って奴か。 |
北伊最後の戦い。ドーフィネの部隊は、なぜかブルゴーニュに向かっていった。 |
損耗は月あたり1前後。州を5つ落とせばおつりが来る。
開戦から一年足らずで北フランスと北イタリアを制圧。しかもフランスは財政難で自分から軍を解体している模様。
パリ陥落。残るフランス軍はバロワとブルゴーニュの約4万だけだ。 |
シャロレーで15個連隊殲滅。ついにフランスの兵力が2万を切る。 |
貴族が報酬を要求。1200ダカット支払う。 そりゃこんな無茶な戦争させられたら、ボーナスが欲しくもなるわ。
よくあるバッドイベント。 |
州に到着即強襲、狂気のミルザ2世。騎兵も要塞に突撃させられないかと真剣に思案中。 おかげで各部隊とも素晴らしい損耗ぶり。でも厭戦は未だに1前後。こんなの絶対おかしいよ。 攻勢限界に到達したと判断、歩兵を分離して後方へ移送する。
勇敢なるティムールの英雄達。騎兵に比して歩兵の損耗が酷い。 |
VICなら軍が反乱を起こすか、POP消滅してる。 |
1457年11月 ゲリラ戦を続けるフランス王の軍を、アヴィニョンでついに殲滅。全土包囲に取りかかる。
最後のフランス軍が降伏。 |
1559年 フランスの州が転向し始める。 プロヴァンス・サボイを発見。幸運国家プロヴァンスもこれで終わりだ。
1560年 ここで過剰拡大。本国の暴動発生率は……無し。 フィンランドでイギリスと交戦。追い出しにかかる。
フランス占領の進行と過剰拡大。 |
北欧の状況。イギリスとスウェーデンに要警戒だ。 |
1561年 ナバラ発見、強襲で落としてやる。 ヴィボーでお嬢の軍を撃破、そのまま殲滅した。
ヴィボーの戦い。イギリス軍の陸軍はやはり弱い。 |
見ればカスティーリャがマラッカ領をいくらか奪取していた。 イスラム教国家を攻撃するとはなんという輩か。フランス領を吸収し次第、カスティーリャを攻撃することに決めた。 国家への寄付が発生したので、その資金で40隻のキャラックを買った。
東南アジア情勢。カスティーリャが進出している。北方では明が崩壊中。ああはなりたくないものだ(切実) |
1563年10月4日 カスティーリャを発見。おそらく兵は海外領土に配置してるだろう。 ピレネーを越え、15万の兵力で侵攻する。 カスティーリャは東部に重点的に兵力を配置していた。 バレンシア・マドリードで各25個連隊を殲滅。
アジアでは、ペグーにてカスティーリャの東南アジア派遣軍の攻撃を受ける。 それなりの数だったが、ビルマ守備隊を集結させて追い返す。
なんのひねりもなくカスティーリャ軍を撃破。休む間もなくアラゴンから敵兵が迫っているが…… |
増援を投入してこちらも撃破。フランスよりは陸軍が弱体で、大軍を投入すればどうにでもなる印象だった。 |
東南アジアに上陸される。カスティーリャはこれがあるから怖いが、その分本土の兵力は弱体だ。 |
1564年6月5日にはトレドも落ちた。
トレド陥落。イベリア半島の覇権を確立した。 |
12月15日、ガリシアを残してカスティーリャ本土を占領する。 イギリス戦を見据えてコグ40隻生産開始。
1565年 フィンランド屈服。イギリスとの国境が消えた。 この停戦期間を利用してスウェーデンを蚕食する。
その頃の北欧戦線。後は消化試合だ。 |
1566年 国の焦点をテューリンゲンに。 ストックホルムの転向を持ってスウェーデンと和平。
1567年 ポルトガル発見。リスボンをいただくことにする。 リスボン屈服によって、ポルトガルは中央アメリカへ首都を移した。
1568年 カスティーリャと和平。コンゴに首都を移したようだ。 他に旧クリーク領とインドネシア周辺も領有しているらしい。 彼らにとって、原住民はもはや大切なマンパワーだろう。 史実のような惨劇が起こらないことを切に祈る。
さあイギリス戦……と行きたい所だが、ここへ来てフランス・イベリアの反乱鎮圧で手一杯になる。 ナショナリズムが切れるまで、大人しく内政に励むこととする。
各技術が相次いで7に。陸軍技術も19に上がった。ここで技術開発を統治に切り替える。 もう陸戦でティムールに敵う国はないし、そろそろ新たな国策が欲しい所だ。 また、開発が間に合うかは分からないが、絶対君主制による帝国主義CBが取れれば取りたい。
陸軍技術上昇。欧州の状況から、これ以上陸軍を上げる価値はないと判断した。 |
1570年 イギリスと交戦。スウェーデンの3州を取ったら、講和に応じてくれた。 日本と明が同君連合……日本が上位!? これ継承したらどうなるんだろ……
明の凋落と反乱祭り。欧州制圧する頃には、アジアも切り取りやすくなっているはずだ。 |
1571年 さて、ここで一つ失念していたことがあった。 それは、なぜ西欧化をあきらめてまで保守主義に振ったかということ…… 宣教師が足りないのならば、多少の重荷を背負ってでも増やねばならない。 というわけでローマ征服を決定。今年停戦が切れるナポリ国境に軍を配置する。
イタリアは一本道だ。大軍をもって真っ正面からナポリ軍を撃破していく。 ちなみにシエナのボヘミアは……いつの間にかナポリに併合されていたみたいだ。 やっぱり哀れ。
ナポリ戦開幕。敵軍よりも大学街道に目が行ってしまう。 |
ナポリ王の軍を撃破。消耗に耐えつつ殲滅を目指す。 |
アルガルウェを残してポルトガルと和平。 バーデンからアルザスが独立、潰しにかかる。
ナポリは1573年に制圧完了。北方では地味にスウェーデンを制圧。 力を付けた神政デンマークがスレースウィに侵攻してくるようになったので、海軍を派遣してコペンハーゲンを落とす。
デンマーク戦。艦隊で海峡を封鎖して…… |
大神官率いる軍を殲滅する。 |
統治技術が8に。60近い隣国ボーナスと合わせて飛ぶように研究が進む。
1575年 ここで困った事態に。お嬢と再び開戦したのだが、大陸領を奪っても敗北を受け入れてくれない。 というわけで突発的ながらゼーレウェーを敢行する。参加する兵力はキャラック50、コグ40、兵士3万6千だ。
不気味に漂うロイヤルネイビーに恐怖しつつ、ケント上陸、強襲、占領! ここで艦隊がロイヤルネイビーに捕まったので、即座に和平を提案する。
イギリス上陸作戦敢行。ドッガーバンクのイギリス艦隊はなぜか妨害してこない。これが戦場の霧(後略 |
1576年ノルウェー発見。デンマークに次いでこっちも神政だ。何があった。 即座に侵攻を開始する。 そろそろ君主の寿命だが、気にしてはいけない。 この辺は貧しいから反乱軍も弱いし、何よりティムール軍は絶賛増員中だ。 兵舎を建設した小アジアの州がフル稼働で兵を吐き出している。 異教・異文化とはいえフランス・イベリアは流石に豊かだった。 ……時代考証的にどうなのかとはいわない。
1577年11月 ローマ屈服。ローマ征服が発効! 宣教師増加は年間1.95に増えた。
そして統治技術が9に。 ここで取る国策は……権利章典。暴動発生率マイナス2。 宣教師が増える神の福音や、安定性費用減少の礼拝の義務化も捨てがたいが、まずは暴動発生を抑えたい。 それに権利章典を有していると、解放戦争の大義名分がもらえるのだ。 州の割譲させる際のBBR減少はないが、常時使えるCBはありがたい。
1578年 貴族が外国勢力と結託。安定度低下。カザフスタンの仕業らしい。 カザフスタンめ……西欧が片付いたら併合してやろう。
1583年 アクィレイアからヴェネツィア独立。どうしてそうなった……
ヴェネツィア独立。独立した領土はフリウリとゲルツ……アクィレイアの本国だった。 |
1584年6月5日 ミルザ2世崩御。 この君主、在位期間がものすごく長かった。 親政を始めたのが1524年なので、なんと60年も国を動かしていたことになる。 1511年(この時2歳)の摂政評議会時から数えると、73年にも及ぶ。 若かりし時に獲得した州が中核化するほどだ。 後継者などは、なんと3度も代替わりしていた。
征服事業も偉大で、親政開始時に宣戦布告してきたボヘミアを返り討ちにし、神聖ローマ帝国を解体した。 生涯をかけてドイツ・フランス・イベリア・スカンディナビアを支配下に収めた。
(5/5/4)と能力的には微妙だが、『長生き』という一事だけ取ってみても、名君としか言いようがないであろう。 むしろ某歴史シミュレーションゲームのように、能力値が成長しても良いと思うのだが……
さて、新君主はアブ・サイード2世。 (3/4/8)の武闘派君主だ。過剰拡大発効は痛いが、ムガル化の要件を満たしている。 正当性が50なので、速やかに正当性おじさんを雇用する。
新たなハーンが即位。征服事業を終えてさあ引きこもるぞ……って時に行政3は痛い。 |
反乱発生の状況。見るのも嫌になってくる数だが、幸いにも欧州侵攻軍が健在だ。もう一度征服し直すだけだと思えば苦にならない。 |
こういった反乱軍の集結だけはなんとしても避けねばならない。ローマにも22個連隊の反乱が居るってのに。 |
これだけの反乱も、一年たてばこの通り……やばい、あんまり減らない。アウトライナーが真っ赤っかだ。 |
ここへ来て暴動発生が月に2桁の大台に乗り始めた。 正当性が低いせいもあるんだろうけど、そろそろ国土が広すぎて管理しきれなくなってきたか。
1586年 継承権争いが終わったと思ったら、イギリスと戦争が始まっていた。強襲で厭戦を下げさせてもらう。
1588年 アクィレイア財政破綻。朝貢が切れたので攻撃を開始する。
そりゃ財政破綻もしますよね……って、うちのせいか。 |
1591年 ノガイからウファが離反。軍勢も付いてきてお得な感じだ。
でもその軍勢、お高いんでしょう? 維持費が2割増しくらいだ、使い潰してしまおう。ついでに将軍も弱め。 |
イギリスと交戦。スカンジナビアの陸軍を増強していたらしく、イギリス領スウェーデンから叩き出される。 代わりにロンドンを落としてやって和平。手薄なブリテンを奪えそうだが、ティムールとしても本国の反乱で手一杯だ。 ドイツの改宗とフランスの中核化の目処がつくまでは、イギリス本国を取っても維持できそうにない。 というわけで、イギリス侵攻は予定を繰り下げて1610年頃か。
チョビ髭にもできなかったことをやってのけた。司令官なし将軍には騎士鉄十字章を授与しよう。 |
国の焦点をオスナブリュックに移動。この焦点、ティムールプレイでは改宗にしか使ってない。
1596年 スライダーを保守主義へ移動、政府の制約が消える。
1598年 統治技術が11に。3つ目の国策は国立銀行を取る。 神の福音と悩んだが、最近は文化的伝統が低くてインフレ低下おじさんを雇えないため、これを選んだ。 芸術の守護者で優秀な宮廷顧問を雇ってもよかったが、そっちは即効性がないため断念。
1600年 ビハール・ナジュドが財政破綻。久々にインド・アラビア方面で領土を広げる。 ナジュドの破綻はイギリスのせいか……
ビハール発見。COTが転がり込んできて良い感じ。 |
ナジュド発見……って、1州国にまで落ちぶれていた。オマーンが居る以上隣国ボーナスも安泰だし、イギリスをアラビアから排除したいので併合する。 |
ここまでで西欧の主要国家のほぼ全てを飲み込むことが出来た。 次の半世紀ではイギリスを飲み込みつつ、明の崩壊によって群雄割拠となった東南アジアに勢力を伸ばしたい。 なお、新世界のマップが手に入り次第、上記の征服事業を中止して新世界征服へとシフトする。
欧州宣教の進捗状況。1610年までに北イタリアと低地地方くらいは改宗したい。他にエチオピアとビルマが未改宗だ。 |
ちなみに……オマーンが消滅した時点で隣国ボーナスが消滅するのは秘密だ。 なぜなら、イスラム技術国家がティムールとオマーンしか残っていないから。 征服しすぎるのも考え物である。