資金を貯めつつ内政に励む。特にエジプトからエチオピアにかけて要塞を建設していく。
1430年 和平が切れたのでマムルーク朝と交戦。せっかくなので併合してしまう。 というのも、チュニジアがカスティーリャによって、カソリックに染められていくのが気にくわない。 植民がおぼつかない程度に弱体化させてやろう。
1439年 カスティーリャと接触。あちらの兵数は3万だ。しかもアラゴン・ナバラと戦争中。十分いける。 モロッコとアルジェは死守してやりたい。 また、継承争いに備えて軍備を大幅に増強する。 同時期、カラ・コユンルに中核要求二連発。うち一つはCOTのあるアストラハン。 カスティーリャを叩いたら掻っ攫いに行きたい。
1440年 アルジェ・モロッコがカスティーリャに宣戦。 この判断は間違っていなかったようだ。
1444年 カファを奪いに来るカスティーリャ。 陸路でどこかへ向かっていたので、せっかくだから反乱軍と戦ってもらう。
1445年 オスマンに隙を突かれて進入されるも、野戦で勝利して和平。 接したアルジェにも敗北を認めさせて和平。 ポルトガルとカスティーリャがなぜかアルジェ・モロッコ・オスマンに宣戦している。 カスティーリャ……そんな余裕はないだろうに。
遊牧国家でプレイしていると、急にBBRが跳ね上がることがあるが、これは何だろう。 なぜかBBRが24になっていた。前回も発生したので、詳細が気になる所。
1447年 モロッコに敗北を認めさせて和平。 北アフリカへの拡大はちょっと強引な所があるので、スンニ派国家からは領土を奪わない。 むしろキリスト教になってる州を売りつけたい気分だ。 もちろん前回の轍は踏まないよう、いつ継承権争いが起きても良いように軍を配置している。 デリー・カイロ・アレクサンドリア等基本税の多い州には、常に軍を駐留させたい。
1449年 北アフリカを制圧、この地の信仰は守られた。 モロッコで新たな火種が発生している気もするが、気にしない。 そろそろ代替わりの時期なのだが……まだかな? 東欧ではリトアニアとオスマンが大暴れ。 オスマンには頑張って欲しいけど……リトアニアやばいんじゃないの、これ? ただし総兵力は5000だった。何があった。
1450年5月 代替わりを控えてヴィジャヤナガル発見。総兵力4万と、大きく育っている。 適当にあしらって和平を結んでおこう。
同10月6日、スルタン・死去。次代はフサイン一世(5/4/5) このタイミングは運がないにもほどがある。しょうがない、ヴィジャヤナガル正規軍にも反乱鎮圧を手伝って貰おう。
一時期アラビア半島がストライプに彩られるものの、継承争いが終わる1452年10月までには余裕を持って鎮圧した。 ヴィジャヤナガルも国境線にまで押し返した。 次は……アルジェが黄色に染まっている。和平が切れたらまたカスティーリャ戦か……
1453年 ヴィジャヤナガルへと侵攻。厭戦?そんなの関係ねぇ。 というか、むしろ戦った方が下がる。これ絶対遊牧民とかそういう問題じゃないよね。 カスティーリャと開戦。総兵力9000らしい。北アフリカの反乱でもあったのかな? しばらく継承の心配もないので、。
1454年 スワヒリ発見。今度は容赦なく食い破る。 初期の獲得地域が中核化してきたので、強気に出る。 ただしムガル化は当分先送り。
1455年 フランスがオーストリアと同君連合を成立させた。 恐ろしい知らせかと思いきや、オーストリアが弱体化しておりほっと一息。
1456年 オリッサと接触。鎧袖一触で蹴散らした。 マニプールの同君連合下位になっていたので、敗北だけ認めさせて和平。 向こう数十年は旧ヴィジャヤナガルの維持と改宗で手一杯と見た。 ヴィジャヤナガル消滅も間近なので、ナグプールに国の焦点を移動させて改宗の助けとする。 黒海沿岸が中核化、キャラックの作成を開始。
1458年 モロッコと接触。カスティーリャに渡る前にいただいておく。
1459年 ポルトガル発見。タンジールを奪い取る。
1460年 オスマンと交戦。どうやらカスティーリャに海軍を根こそぎ沈められたらしい。 いよいよヨーロッパに侵攻する時が来た。 ブルサでオスマンの全軍を撃退した直後に海峡を封鎖、行き場を失ったオスマン軍は降伏した。
1463年 ついにタンジールが屈服。これで北アフリカは全てティムールの支配下に置かれた。 オスマンも主要部を占領し終わり、後は州が転がり込むのを待つだけだ。
1465年 上手い具合にオスマンを喰えたので和平。 我々のためにバルカンを改宗しておいてくれるとは、良い国だ。 スワヒリをムタパとの接点だけ残して和平。敗北を認めさせるだけにする。 旧スワヒリ領に要塞を築くための時間稼ぎだ。 いつの間にかオマーンとナジュドがスンニ派に改宗している。後エチオピアがアニミズムに。 何があったのだろうか……