水の都の物語

マルコ・アントニオ・デ・ブラツィオというドューチェがいました。

彼はヴェネツィアの代々続く名門貴族の出身で、共和国のための力強い闘士であり、みんなのヒーローでした。 彼は本土(テッラ・フェルマ)の属州に大規模な荘園を経営する経営者でもあり、そこで多数の農奴を管理し、人民を統治する能力を育んでいました。

1540年8月27日、マルコ・アントニオは共和国評議会から満場一致で共和国元首に選出されます。

彼の就任演説を一部引用してみましょう。

「議員の皆さん、わたしたちはきわめて重要な時代に生きていると言えます。  キリスト教世界は二分され、相互の陣営の間には、深く埋めがたい溝ができてしまいました。  カトリック世界とプロテスタント世界はもはや和解しがたいのでしょうか?  わたしはそうは思いません。  わたしたちは再び統一された世界を、このヨーロッパに築くことができます。  昨年、異教徒たちがバルカンから追放され、コンスタンチノープルが回復されました。  ハンガリー王ラヨシュ二世は、アレクサンドロスに劣らぬ偉業を実現しつつあります。 彼らはコンスタンチノープルを回復し、ダーダルネス海峡を渡って、アナトリア半島に進撃しつつあります。  彼らの役割は、キリストの偉大な教えとルターの熱いパトスを、オリエンタル世界に伝えることでしょう。  では、わたしたちの役目は何でしょうか?  わたしたちの役目は、わたしたちのキリスト教世界をまとめる精神的支柱をこのヨーロッパに打ち建てることだと、わたしは信じています。  わたしたちはみな、イタリア人です。  わたしたちはみな、偉大なローマ帝国の子孫なのです。  ローマは、規格化された道路と水道を各地に敷設することによって、地中海世界を一つに結び付けました。  わたしたちの偉大な先祖たちは陸の道によって世界を一つにしました。  わたしたちは有能な提督と組織された船団によって、地中海世界に交易網を敷き詰めました。  つまりわたしたちは、海の道によってこの地中海世界を一つにしているのです。  とはいえ、地中海貿易の前途は今のところ、明るいものとは言い難いです。  イスラム勢力は東へ東へと後退していますが、依然としてインド洋との交易を押さえています。  ポルトガルは半世紀前、アフリカを回航して欧印航路を開拓しましたが、彼らは胡椒を独占し、価格を釣り上げています。  ドイツのハンザ同盟は、神聖ローマ帝国を支配するブルゴーニュといちゃついて、プロテスタント世界の商人たちを締め出しています。  わたしたちの世界は、十五世紀には一つでしたが、いまやいくつもの世界に分断されています。  未来は困難です。東地中海におけるわたしたちの貿易はこれまでどおりには行きませんし、わたしたちとは違う信仰をもつ世俗権力は強く、大きいでしょう。しかし、それでもなお、わたしたちの共和国の使命は、この地中海世界を再び一つにすることなのです。」

マルコ・アントニオの使命はヨーロッパの臍にあたるヴェネツィアを物資と思想の集積点にすることで、地中海世界をまとめあげることでした。

この聡明なドゥーチェは、自身の荘園経営の経験から徹底した経済改革を行ないます。 彼はじきじきの本土の各州をまわって属州を督励します。 マルコの治世以後、これらの領土では、荘園経営がさかんに奨励され、ワインの原料となる葡萄や東地中海の生活必需品である染料の生産力、海産物の漁獲量が格段に向上しました。 属州を督励してまわるときのマルコのいでたちは、いつも地味な服装に、擦り切れた靴といったものでした。 それは彼の勤勉と誠実というプロテスタント精神のあらわれでもありました。 ヴェネツィアは彼によって、貿易主体の国家から、生産主体の国家に大転換を遂げるのです。


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