1470年12月24日にフェルディナンド・マリア帝が亡くなった。 齢60歳を越し、天寿といっても差し障りはないと思われるが後継者が問題であった。 フェルディナンド・マリア帝は、娘の子を後継者として指名していたが、サリカ法では相続権はない。 それに、女性にも相続権があるならば、他にも相続権を主張する者が出てくるわけであり、年mつであり年初に宣言すればよいと安穏に構えていたマクシミリアン1世は、フェルディナンド・マリア帝の従弟でオーストリア伯に出し抜かれた。 しかも、次期神聖ローマ皇帝も、諸侯の身分ではないため、ブラウンシュバイクのウィルヘルム1世に奪われてしまった。 それでも、自分は、もともと帝位につく気はなかったと、宣言してボヘミアの修道院に入ってしまった。 ここに、ヴィッテルスバッハは断絶したのである。仮に、マクシミリアン1世が即位したとしても、ツヴァイブリュッケンである。