国名 | 収入 | 技術レベル | 陸軍 | ||||||||
統治 | 交易 | 生産 | 陸軍 | 海軍 | 歩兵 | 騎兵 | 砲兵 | 人的資源 | 合計 | ||
コラサン | 300.4 | 12 | 17 | 17 | 21 | 17 | 14000 | 4000 | 0 | 23942 | 18000 |
シャイバーニ | 79.2 | 11 | 17 | 18 | 20 | 17 | 0 | 1876 | 0 | 3378 | 1876 |
ノガイ | 0.0 | 5 | 6 | 6 | 6 | 6 | 0 | 0 | 0 | 1000 | 0 |
パンジャブ | 44.5 | 10 | 14 | 15 | 16 | 12 | 2000 | 0 | 0 | 1725 | 2000 |
ヒヴァ | 47.5 | 13 | 17 | 17 | 20 | 18 | 1000 | 2000 | 0 | 5954 | 3000 |
ビハール | 553.7 | 9 | 9 | 14 | 16 | 10 | 6000 | 3000 | 0 | 52064 | 9000 |
モスクワ | 71.7 | 17 | 21 | 22 | 23 | 21 | 2000 | 0 | 0 | 1280 | 2000 |
朝鮮 | 318.7 | 9 | 12 | 11 | 16 | 10 | 16143 | 9463 | 0 | 63478 | 25607 |
満州 | 2796.5 | 20 | 13 | 14 | 17 | 14 | 35000 | 15000 | 6000 | 73620 | 56000 |
明 | 2484.9 | 9 | 10 | 10 | 11 | 9 | 21724 | 50536 | 0 | 255294 | 72260 |
1651年、我が「同盟国」である明より対マタラム、朝鮮の防衛戦の要請が入った。 これまで朝鮮は明と同盟を締結しており下手に手を出せなかったのであるが、 むこうから手を切ってきたのならこれはチャンスである。 早速、参戦する。
しかし、この時期満州軍のほとんどは領土の西端、すなわちカスピ海の北部周辺に展開していた。 いまや膨大な領土となった帝国の東端まで帰るのは日数がかかる。 その間に、朝鮮軍は疾風のような進軍を行いたった8日で海西を陥落させた。 続いて烏ス里と首都ヒンガンをも落とされることになってしまった。
約1年後、帝国の東側まで全軍が戻ると、兵力・装備の両方で勝る我が軍の前に朝鮮軍など敵ではなかった。 あっという間に占領地を奪還し、朝鮮領を攻囲したところ・・・
1652年、我が同盟国代表のマリと敵国代表のマタラムが講和を結び戦争は終結した。 どこの戦線にも出てこなかったこいつらが勝手に講和を結びやがって残念だが、 やはり人の手伝い仕事はダメということである。
1653年、長くビハールの圧政に苦しんでいたチベットは独立を宣言した。 しかしチベット領カムは境界線が曖昧であり長らく我が国が領有を主張してきた土地であった。 1651年の皇帝ホイファタクス1世の即位により、過剰拡大が解消された今、土地を返してもらう好機である。 我が国はチベット領への侵攻を決定した。
我が軍に勝てないと思ったのか、チベット軍は開戦早々に隣国に逃げ込み戦闘らしい戦闘もなく、 あっさりと全土を掌握した。 カム、タングラを割譲させた上でチベットを属国とし戦争は終結した。
チベットは我が属国となった後もビハールからの独立戦争を続けていた。 もっともビハール本国と領土が切れていたので、実質的にはなんの被害も受けていなかったのだが、 皇帝ホイファタクス1世はあることに気が付いた。
「たしか、大義名分(CB)に『同盟』というのがあったのぅ・・・。」
そこで属国チベットと同盟を結ぶと、予想通りビハールに対して大義名分『同盟』が獲得できた。 早速宣戦布告し、予めチャンティガールに配備しておいた兵を進軍させる。
ビハール軍には連戦連勝を重ねた。 しかし、我が軍の損耗は激しくなかなか敵軍を全滅に追い込めない。 1660年10月、軍をオリエンタリズム化できる条件が整ったため、取れる領土だけ割譲を受け和睦することにした。 この戦いでデリーとラクナウを取得する。
明連合vsモルタヴィア連合の戦い。 モルタヴィア同盟国であったポロツクと戦うため我が国も参戦した。 軍の西欧化を図った直後のため、侵略軍・反乱軍の双方に悩まされるがなんとか抑え込み、 ポロツクに本格的に侵攻し始めた矢先に講和となった戦いであった。
インドの小国マールワは外交上の席で我が国を侮辱した。 このような小国に侮辱され黙っているわけにはいかず・・・というのは全くの口実で、 豊かな北インドの土地を得る絶好のチャンスとばかりに宣戦布告を行った。 マールワの同盟国であるビハールも敵にまわりよい感じである。
いまや東欧の軍備を手に入れた我が軍に、旧式のインド軍備の彼らがかなうわけがなかった。 アグラ、アラハバード、アウドの割譲を受け、講和にいたる。
1651年、司法制度法*1 1660年、軍の近代化(オリエンタリズム化)*2 1678年、西欧化(ラテン化)*3
1677年、帝位を継いだホイファヤンジョン1世は、余っている入植者と資金を無駄にするのはもったいないと考え、入植政策を積極的に進めることにした。 南方の島、ポッセに進出した時にカスティーリャと隣り合わせになり、ラテン文化に触れたのはのは最大の収穫と言えるだろう。 1700年までの間に、サハリン、サハリン・オウラ、デレン、アルバジンスキー、ウジンスキー、ネルチンスキー、イルクーツク、ウズゴエ、上川、後志、十勝、カガヤンが領土となった。
カム、アウドに新たに交易所を設立した。
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