![]() |
幸運持ち恐るべし |
ティムールがインドを超えてとうとう東アジアまで到達したことに戦々恐々としつつ、現状を整理。 EU3は歴史イベントを廃している上にかなり国家の自由度が高い。それこそやりようによってはビサンツ帝国が共和制になって大統領を選出するとかいうことができるくらいには。ただ、国家に結びつくパラメータの中にはプレイヤーにはままならないものもいくつかあり、そのうちの一つが宗教である。 国教は基本的に、国家のそれとイコールであり、「改宗の強制」以外で変わることは希だ。それすらも同じカテゴリ(キリスト教、イスラム教など)の中でしか変わらず、カテゴリを超えて宗教が変わる、というケースはそう多くない。 その数少ないケースの一つが、大名のみに許された宗教政策、「切支丹の改宗」である。ただこの政策、条件が「国内でカトリックが支配的になること」であり、中々に厳しい。……が、それを狙ってやろうというのが今回の趣旨その1である。前回で早々に日本発見イベントを起こしたのもそのための仕込みだ。
![]() |
連鎖イベントその1 |
日本発見が起こった後、しばしば起こるのが「異国からの漂流者」。ここで「何も問題はあるまい」を選ぶと、イベントの起こったプロヴィンスが「キリスト教伝道団」を獲得する。これによる補正もあるが、本当に大事なのはこれが次のイベントのための前提であることだ。ただ、「キリスト教伝道団」は10年しか持たないのに対し、次のイベントのMTTHは300。つまりおおよそ25年に1回起こる、という確率設定がされている。革新主義などで若干早められるが起きない時は起きないので、「異国からの漂流者」が起こった段階でセーブ→10年経つまでに次のイベントが起きなければリロード、ということをやろうとした。幸い一発で起きてくれたので必要なかったが。
![]() |
連鎖イベントその2 |
1513年に、伊豆がカトリックに改宗した。これにより、次のイベントが高い可能性で発生する。……その前に踏み絵(カトリックプロヴィンスを神道に改宗させる。同時に大規模な反乱が起きる)が起きたらリセット。 ちなみに、この一連の動きと併せて国策を「宗教一致運動」に変えたが、正直これは下策だった。宗教一致運動で起こるイベントは、国教のプロヴィンスを同じカテゴリの他の宗教に改宗させる。つまり、神道プロヴィンスを減らすことは出来るが、それだけのためにこの段階(国策スロット1つ)で国策の枠を潰すのはかなりもったいなかったからだ。さんざん引き合いに出している海を渡る大名では時期的に相当後+西洋化達成済みだったので、国策の枠に余裕があったであろうからああした状況下ではだめ押しの一手として有効かも知れない。 さて、そうこうしていると第三のイベントが発生する。「キリスト教の緊張」というイベントで、95%の確率で大規模な「カトリックの狂信者」の反乱軍が発生する、というものだ。普通なら困ったイベントだが、今回ばかりは起きてくれなければ困る。まあ、踏み絵が先に起こらなければ大抵起こるが。 さて、狂信者が発生したら、今度はこれのコントロールである。海を渡る大名でもこれのコントロールに苦労した様子が伺えるが、そこはそれ、彼らの行動原則を知れば実はコントロールは意外とたやすい(といいつつ、ここでのリロード回数はもう数えたくない回数になったが)。 狂信者の特性としては、「特定のプロヴィンスを制圧した場合、そこに隣接するプロヴィンスに自分の信じる宗教(今回の場合カトリック)を信仰し、かつ『改宗の強制』の修正がないプロヴィンスがある場合、そのプロヴィンスを自分の宗教に改宗させる」というものがある。今回の場合、伊豆と隣接するプロヴィンスにいって制圧すれば、そこがカトリックになる、というわけだ。ただし、これによって改宗したプロヴィンスには「改宗の強制」の修正が2年間つくため、そこから更に遠いプロヴィンスは「改宗の強制」が消えるまで、狂信者が制圧しても改宗はされない。 また、狂信者の行動パターンとしては、
大まかに言ってこういう法則が存在する。 そのため、改宗可能性のないプロヴィンスには1でも兵士を置いておけばまず狂信者は移動してこない。反乱発生率が高いと兵士を置いていても突っ込んでくる可能性があるが、反乱発生率を4%未満に抑えられれば、概ねにおいて大丈夫のはずだ。後は、改宗可能性のあるプロヴィンスをあけておけば、勝手にそっちに移動してくれる。ちなみに、港に船がいたり、港から隣接する海域に船がいても「ユニットがいる」とみなされるようだ。移動のコントロールが上手く行かない場合、海軍の存在も疑ってみよう。 さて、そうやってなんとか狂信者をコントロールし、どんどんとカトリックを広げていき、都合15年後。
![]() |
恐らく一番厄介だった |
見事、国教のカトリックへの改宗を達成した。これで最早大名でいる意味もなくなったので、以降は日本統一を考える。……と言っても既に橘とは同君連合を結んでるので、継承を待つだけなのだが。
![]() |
カトリック化したことで判明したヨーロッパの様子。 ノルウェー、ビサンツ、ティムールが大躍進。 そして幸運もないのに大国化しているオーストリア……どうやら継承しまくったらしい。 何もゲームでもハプスブルク家を再現せんでも。 |
ともあれ、早速宗教一致運動を神の福音に変え、更に対抗宗教改革の受容をして、一気に宣教師を増やしにかかる。一方でアフリカの方でイングランドに隣接できたのだが、生憎と当主も後継者も内政が低い。暫くは植民と改宗を進めつつ、我慢の子だ。
![]() |
東洋の島国から枢機卿が3人 |
さて、教皇庁の御者を担ったり、
![]() |
誰だろう。まさかの日ユ同祖論? |
先祖が聖人に列せられたりと色々気まずいイベントが起こりつつも、当主の内政低いのが祟って西洋化ができない状態は依然続行中の1570年。とうとう、橘を継承した。その時点では殺生評議会だったが、7年後、めでたく若君、逸勢が成人(しかも内政7!)したので、
![]() |
ようやくの第一歩 |
![]() |
そして、日本統一 |
西欧化、そして日本統一を達成した。ちなみにこの順序なのは、日本統一で短い間だが安定度費用に修正がもらえるため。これを端緒に、どんどんと西欧化+軍隊の近代化を進めていく。また、キリスト教を国教とする我々が日本化した、つまり自由に外交関係を結べるようになったことで、ヨーロッパのカトリック諸国からも縁談が舞い込むようになった。
![]() |
殿の細君は金髪碧眼のようです |
筆者はこの時「300年早い日英同盟だ」とか内心悦に浸ってたが、これが後々とんでもない事態を引き起こすことに……。 ともあれ、1599年には全ての西洋化及び近代化を達成。国が広いため中々技術レベルで追いつくのも苦しいが、それでもなんとか当初想定していたスタートラインに立つことはできた。藤原の野望、ここからが本番である。
&ref(): File not found: "fj01_wm.jpg" at page "日いずる方より来たるもの2"; |
イエメンがとにかく元気。そしてマムルークも復興。一方、ティムールは流石に陰りが見えてきており、シリア、ペルシャが独立。 ちなみに北方ではとうとうスカンジナビアが成立した |