私が以前に読んだAARでは軒並み大名は国内はほったらかして海外植民を目指していたが(そして大名プレイというコンセプトにおいては概ね正しい方針である)、今回はある理由の為に、むしろ積極的に国内統一を図りたいと思う。 そのためにはまず、大名と将軍というシステムについて若干の理解を深めておきたい。正直EU4の紹介記事で割と早めに削ることが公表されたぐらい「イケてない」システムではあるのだが、あるものについては知っておかねばなるまい。主要な特徴を列記すると、以下のようになる。
大雑把に纏めるとこんな感じである。特に将軍になった場合、自分の権威を容易には下げられないのは注意が必要。対外活動を行うには将軍就任が必要だが、そうすると国内勢力を併合するのが容易ではなくなる。諸々を考えれば、早めに国内統一は達成したいところ。ちなみに日本統一の条件は、
の、いずれか。まあ、普通に考えれば前者を狙った方が早い。 また、大名家は独自のミッションや政策、イベントもあるが、この辺は「海を渡る大名」に詳しいので、そちらを参考に。 さて、上記を踏まえての藤原家の初動であるが、まずは橘家と関係を深めつつ、源家(将軍家)には侮辱の使者を送ることになる。初期状態では戦争を起こせないので、早々に将軍家の権威を落とす必要があるからだ。また、平家は最初に攻める対象なので、いずれとも関係のない橘家とは仲を深めておくことにする。現実問題として一対三になれば厳しいどころの話ではないので、最後の決戦時まで橘家との関係は維持したい。後は全力で兵力を整えつつ、信濃に忍者(スパイ)を送って中核州化しておく。大名なら3、将軍なら5、悪評が増える中核化のスパイミッションだが、大名同士の戦争の場合停戦交渉での悪評が倍になるため、トータルで見れば明らかにお得なので積極的に仕掛けたいところ。
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ニンジャパゥアー |
ちなみに将軍の権威を落とす方法としては、自身と将軍家との関係を悪化させるほかに、
などがある。全てを駆使して、とにかく戦争できる状態に持って行きたい。そうなれば、後は勝手に将軍家と平家か橘家が争って権威が下がっていく。 最初の戦争は平家に比べて若干戦力が劣るため辛いが、戦争の仕方としては先述の「海を渡る大名」に書いてある手法を参考にすれば勝てるはずだ。初手で信濃の金山を奪えれば格段に楽になるだろう。
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多分、実際には甲斐の金山 |
少々時間軸を巻き戻すが、最初からいる政務官は歴史巻物に使わず、暫く待つ。と言うのは、
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茶道はかなり強力 |
茶道を取るために文化伝統25%と芸術家が必要なのだが、それを満たすためには最初から運良く芸術家がいない限り2人の政務官に「絵画(文化伝統+5%)」をさせる必要があるからだ。初期からの商人と、その後に出る商人、そして資金をなんとか工面してでも2年以内に茶道は取っておきたい。文化伝統+3%/年も強力だが、自国の穀物か魚を産出するプロヴィンスの1つが茶を産出するようになるからだ。これが大きいのは言うまでもないだろう。
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お茶おいしいです |
その後は忍者による中核州化と戦争を繰り返し、徐々に平家の領地を削っていく。平家をほぼ吸収する頃には、他の大名家と一対一ではまず負けないようになっているだろう。そうなれば、忍者+戦争で領地を奪うのではなく、隙があれば同君連合からの継承を狙ってもいい。同君連合は雇われ忍者+偽文書から狙うのが手っ取り早いはずだ。実際、源家はそれで継承した。この場合、同文化であれば相手の中核州は全てこちらの中核州になるので、非常に都合がいい。
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怪文書からの連合強要。後は友好度と国威を高めてゆっくり継承を待つ |
さて、そうやって順調に日本統一を進めていく傍ら、もう一つ進めていることがある。それは、海外探索だ。
技術開発としては生産4(按察署)→統治4(国策)→海軍4(船着き場/生産+25%が入るので、海岸プロビばかりの日本では何気にでかい)→交易7と目指していった。この時点では陸軍は無理に研究しなくても致命的な差はつかないため、一番後回しで経済的なものを優先させた形である。 国策は植民地探検で植民者を5ストックした後は国立銀行で資金貯めをし、そして交易7で満を持しての新世界の探索を取る。今回植民しない方針なのになぜいきなり新世界の探索なのかと思われる向きもあるだろうが、もちろんちゃんと理由がある。 征服者と探検家を雇い、途中の国にちょくちょく通行許可を貰いつつ、少しずつ西へ西へ向かっていく。そして、いよいよアフリカ東岸が見えてきた。
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アフリカの角辺り。珍しくイエメンが伸張している |
イエメンに通行許可を貰い、更に南下していくと……都合良くムタパ、土着信仰国家が見えてきたので、これ幸いと宣戦布告する(これに先だって、橘と同君連合を結んだ上で将軍になっている)。 DWからはSlow Limitが導入された兼ね合いで、この時点の日本ではサハラ以南の国家であるムタパでも決して侮れる相手ではない。1495年ともなれば、これらの国ですら要塞を築いているからだ。とは言え、そこは土着信仰の悲しさ、一度領地を奪ってしまえば、そのまま和平交渉なしでこちらの領土としてしまえる。後は痛み分けで十分だ。そして、ニンジャパワーで即座に中核化してしまえば、晴れてアフリカに遠征拠点のできあがりである。
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ニンジャすげぇ |
この後北側も奪って無事イエメンと領地が隣接したのだが、ここで計算外の事実が発覚。実はこの時点で技術グループをイスラム化しようと目論んでいたのだが、自国の技術が平均6程度であるのに対し、イエメンは平均8程度……西洋化の条件である「技術格差25」を満たしていなかったのである。仕方ないので暫く西洋化はあきらめ、そのまま船をどんどこ進めていくことにした。
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ティムールがシナイ半島まで出てきている。一方、マムルークがどうにも元気がない |
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喜望峰を回る。史実から遅れること何年だろうか? 1495年に日本発でここまで辿り着けば十分偉業だろうが |
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マディラが見えてきた、ヨーロッパまであと少し! 上にちらっと見えてるのはリスボン |
そして、1499年9月15日。
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日本発見! ……ってあれ |
ポルトガルに通行許可を貰い、リスボンに寄港すると同時に「日本発見!」が発効した。……まー、EU3のシステムの穴というやつで、外交交渉を持つと相手国の首都だけは見えるようになる。ポルトガルと交渉を持ったため、ポルトガルには伊豆だけがぽっかり見えるようになった、というオチである。いずれにせよ、半世紀早く日本はヨーロッパと交渉を持つようになったわけだ。 さてさて、これがどういう意味を持つかは16世紀の展開をお楽しみに、ということで。
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やたら元気なビサンティン、そしてビサンティンとティムールに挟まれて死に体のオスマン……どうしてこうなった |