大覚寺統と持明院統による権力争いに端を発する戦乱は、持明院統側が勝利し足利尊氏が 幕府を開いた事によって、終息するかに思われていたが、権力基盤が脆弱な幕府は、各地の 有力な大名を制することが出来ずに各地の有力者は自らの支配力を拡大する為に戦争に明け 暮れており、そしてそれを止める力を持たない幕府の権威は日に日に失墜していった。*1
後に戦国時代と呼ばれるこの時代は、極東の島国での戦乱でしかなかったが後の世界に 多大な影響を及ぼす国家を建国する一族が初めて歴史の表舞台にでた時代でもあった。
織田家は古くから土岐家の守護代*2として長年、尾張地方の統治を任されてきた土岐家の信任も篤い家柄であり 土岐家でも甲斐武田家についで序列2位の家柄だったとされている。
【1356年1月時点-日本地図】
「上杉が甲斐に進軍を開始しただとっ!?」
部下からの意外な報告を受け、実親は驚愕した。 上杉家は関東管領を務める大大名であり、幕府からの信任も篤い。その上杉が土岐家の領土である甲斐に進軍したと言う事は、この件に関しては幕府の介入は期待できない。
単純に兵力差で見れば土岐家と上杉家にはそれほど大きな差は無いが、甲斐は土岐家の 領土の中で唯一飛び地にある領土でその間には、犬猿の仲である斯波家が存在する為に 軍を派遣するには、今川家の遠江を経由しなくてはならない。
しかし、甲斐を統治する武田家だけでは、その間を耐える事は難しいだろう。
「すぐに、井ノ口*3へ出立する。兵には出陣の準備をさせておけ」
そう実親は部下に伝えると、そのまま井ノ口へ向かった。
「兵を派兵しないですと。大殿は武田殿を見捨てるおつもりですか?」
「口がすぎるぞっ実親!将軍家に仲裁を頼んであると言ったであろうが」
馬を飛ばして井ノ口城についた、実親を散々待たした挙句に頼遠が告げたのは 兵の派遣はしない。幕府に今回の事は一任したので自領に戻れとの言葉だった。
何度か再考を嘆願したが、実親の尾張守護代の任を解く事を匂わされては引き下がらず を得なかった。
そして、この日を境に実親はある想いを決意した。