教皇が、我らの祖先の中でも最も敬われている人物の一人を聖人と認めました。これは盛大に祝う価

値のある出来事です!「聖人として認定」

1430年10月16日、フランスがオルレアンを併合。 1431年4月1日アルマニャック伯と婚姻関係。イングランドと婚姻関係、玉座を要求してきた。ルイス

1430年代前半

頑張れということか

シャルル4世は、国威の回復という父の代からの大事な仕事に取り組んでいた。我が子ルイスに預けた

探検事業が心配でないことはなかったが、親らしい心配などしていられるほど状況はゆっくりとは動

いてはくれなかった。それに、探検事業の後方支援は若いリベルタ卿に預けてもよいだろう。ルイス

と共に政権入りしたジョルダン・ド・リベルタという青年、彼は拾いものだった。リベルタの爺さん

が見込んだだけのことはあったということか。

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1420年代後半の西欧はミラノとイングランドがガリアに勢力を伸ばし、四苦八苦するフランスを神聖

ローマ皇帝がつつきまわして出来上がった小国乱立状態であったが、一時は強盛を誇ったミラノが教

皇から破門を通告されると、オーストリアがミラノ支配下のスイスへ兵を進め、勢いに乗って旧サボ

イ公領を席巻した。ミラノはスイスとサボイの独立を約しオーストリアに屈した。 ミラノの領地はスイス、サボイの独立で東西に分断された。度重なる戦争で疲弊したミラノに、破門

を理由にモデナとマントヴァが宣戦した。ミラノは敗色濃厚で、とてもサボイよりも西の領地に構っ

てはいられないように見えた。 プロヴァンス伯シャルル4世はこれを好機とみた。ミラノの危機的状況は、プロヴァンスにとってみれ

ば国威を回復する絶好の機会であった。 分断されたミラノの西側は、ドーフィネ、リヨン、オーヴェルニュの3州である。オーストリアと同

盟中のスイス、サボイがミラノの通行を許可するとも思えず、万が一許可したとしてもモデナ軍との

戦いで手いっぱいのミラノにこちらに回す戦力はあるまい。西の3州を抑えたところでドーフィネの割

譲を要求すれば、ミラノは受け入れるだろう。

ドーフィネ戦役 (ドーフィネ再征服戦争) 1432年

シャルル4世はミラノの形勢不利と見るや即座にドーフィネの返還を求め宣戦布告した。同盟国である

イングランドとブルターニュは参戦しない代わりに戦費の援助を申し出た。軍を動かさないというの

は事実上の同盟の不履行であった。かの島国ときたらなぜこうまで狡猾なのか。シャルル4世は軽い憤

りを感じたが、あえて抗議しなかった。先のアヴィニヨン再征服戦争の折、イングランド軍と占領競

争をして戦争が長引いた経験がある。今回のような勝てる戦いではあえて競争相手はいないほうがい

い。それに戦費の援助はプロヴァンスにとってありがたい。

エクサンプロヴァンスを発してドーフィネまでの道のりは普通の旅人ならば3~4日、馬なら出立した

日の夕刻にはドーフィネに着ける距離だ。軍の行軍にとってもそう長いものではない。エクサンプロ

ヴァンスから半月もあればドーフィネに軍を展開できる。 史実では後世ナポレオン街道と呼ばれるエクサンプロヴァンスからドーフィネ州の首府グルノーブル

へ通じる道をシャルル4世は北へと軍を進めていた。右手にはプロヴァンスから見るよりも大きく迫っ

てくるように見える大アルプスを背景に小ぶりなロマネスク様式の教会が見える。 生まれて初めて訪れた土地であるにもかかわらず、この地は懐かしい雰囲気を伝えてくる。現代の南

仏と呼ばれる地域をオクシタニアどいうリージョンで分けることがある。オック人と呼ばれるプロヴ

ァンスと同じ言葉を話す人々が住む地域だ。オック語の歓迎を受けていたこともその一因であろう。

シャルル4世にとってはオック語は父シャルル3世の代まで全く知らぬ言語であったはずなのだが、現

王シャルル4世には聞きなれた言葉であった。 シャルル4世はまもなく、彼が生まれる前から彼の物であったはずの土地で、彼のものであるはずの街

を攻囲させることになる。

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アルプス山脈の麓、イゼール川と支流の分岐点に位置し、周囲を大きな岩山で囲まれたグルノーブル

は天然の城塞である。4世紀にグラティアヌス帝がこの地を訪れグラティアノポリスと名付けた。ロー

マ帝国の崩壊後、この都市はブルグント王国の支配下に入り、その後フランク王国のクロテール1世に

よって征服された。20世紀には第10回冬季オリンピックが開催された場所でもある。シャルル4世の軍

はほとんど抵抗を受けずにグルノーブルを攻囲することに成功していた。現代のグルノーブルの観光

名所でもある山岳城塞のバスティーユ城砦/Fort de la Bastille (パリにあるかのバスティーユ牢

獄/Bastille Saint-Antoineとは別物)はこの時期まだ完成しておらず、ミラノ僭主の代官は町を盾

に立てこもるよりなかった。 包囲が完了しても一向に攻め入る様子を見せない王に、連隊長の中にはこの程度の小城なら突撃して

踏み潰せましょうぞ、などと具申してきたものもあったが、同胞の解放を掲げた手前、プロヴァンス

軍の突撃によってオック人に被害が及ぶのを嫌ったとも、イゼール川の渡河をして味方に被害が出る

のを嫌ったとも言われる。いずれにしろシャルル4世はついに市街への突撃を命じなかった。 不服そうな家臣にシャルル4世は言った。 「アルマニャックのジェロー7世もオーヴェルニュへ進軍中と聞く。彼は忠実に義務を果たすであろう

し、ミラノ僭主の代官も援軍が来ないとわかっているのだ。籠城の無意味さに気がつけばすぐに開城

するだろう。それに、市街へ突撃などしては折角のグルノーブル料理が焦げてしまうではないか。」 国王の軽口に閉口するもの、追従して笑うもの様々だったが、後に続けたシャルル4世の言葉に反論す

るものはいなかった。

「心配いらん、この戦争は長くは続かないだろうさ。」

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アゾレス諸島西方 1433年7月17日

日中は常に左舷から陽光を受けている5隻の船は、船首を西に向けていることになる。 プロヴァンスの5隻の船は中緯度とはいえ真夏の日差しを受けながら、西へ西へと進んでいた。風は概

ね逆風で、スクエェアマストばかりのプロヴァンス探検艦隊は余り速度を得られないでいた。幸い大

きな悪天候に見舞われることもなくアゾレス諸島からコーナー海山群、セーブル島バンクと後に呼ば

れる前回探査した航路を抜けて未知の海域へと進むことができていた。

カラックの上甲板中央は前後に比べて低い位置にある。船の真ん中でさらに低い位置にあるというこ

とは揺れが少ない。もっとも30mそこそこの船では波高数メートルの大西洋のうねりの前では揺れが少

ないといっても気持ちの問題でしかない。 それでも、船酔いは気持ちの持ちようだというギレムの言葉にすがりついて、海兵隊とルイスは一日

中上甲板で釣られたマグロのようにしていた。 ハンザ式の舵は船体後部中央にある。この船の舵輪も船尾楼中央にあった。舵をとっているのはこの

船の一等航海士で、船長兼提督のギレムはそのすぐ下の日陰で船員を集めてなにやら楽しそうに話を

している。 ギレムの話は面白かった。マルセイユのカモメ亭で聞いた彼のどたばた冒険談にはルイスも大笑いし

ながら、もっともっとと次の話をねだったものだっだ。 しかし、一向に慣れることのない船酔いで、甲板でマグロになっているルイスには、今はその笑い声

さえも恨めしかった。 そんなルイスの視線に気づいたギレムがルイスに聞こえるように大声で言った。 「ねぇ王子、汗には冷たいのもあるんだってそこで知ったわけよね?」 ギレムが出港式典の話をするのは二度目だった。最初はエクサンプロヴァンス号でアゾレス諸島を測

量した時、そして第三回探検から船員の半数を入れ替えて旗艦を移したこのラ・マルセイユ号でも同

じ話をしていたのだ。確かに自分でもうまいこと言ったものだと少々自慢の笑い話だったのだが、悔

しいのはギレムが話した方が数倍ウケルということだった。 ルイスはうまいこと言い返してやろう思ったが、船酔いの苦痛のほうが立ち上がろうとした意思に勝

って、甲板に寝転んだまま右手を空に向け親指を立てるのが精いっぱいだった。 そんなルイスの傍らまでやってきたギレムはルイスの顔を覗き込んでこう言ったものだった。 「おや、王子様は酔うということも二つあるということを知りなさったようですねぇ」 上甲板には再び船乗りたちの笑い声が響いた。

「提督!鳥がいますぜ」 メインマスト上から見張りの声がした。 甲板の船員たちがおのおのの方向へきき手で目の上にひさしを作りながら水平線に目を凝らす。ギレ

ムも後鐘楼に駆けあがって単眼鏡を使った。 「鳥がどうしたって?」ルイスは急にあわただしくなったラ・マルセイユ号の様子に船酔いと戦いな

がら聞いた。 「王子、鳥がいるってことは近くに陸地があるってことです。聖書にも書いてありますぜ。」ギレム

が軽口交じりに言った言葉はルイスに電気を走らせたようだった。飛び上ったルイスは先程までの体

たらくが無かったことのようにギレムの横まで駆け上がり水平線に目を凝らした。

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1433年7月17日、プロヴァンスの探検隊はアゾレス諸島の遥か西で陸地を発見した。 最初は雲の下の雨が作り出す陰影のように見えたそれは、次第に陸地らしいシルエットを見せ始めて

、今ではくっきりとその植生までがわかるほどになっていた。 「あんまりパラダイスっぽくないな」 それが多くの探検隊員の感想だった。ポルトガルやカスティーリャの冒険家の話では欧州とは全く違

う植物と極彩色の鳥、真っ黒な肌の人々がいるということだったが、目の前の陸地は明らかに針葉樹

と落葉広葉樹の混生林が海辺まで茂っているし、鳥も見たところ極彩色ではなかった。間違えて欧州

に戻ってしまったのではないか?そんなことを言う船員もいたが、一等航海士は西へ向かうだけの航

海で間違いようが無いと否定した。もちろん、そう言った船員も太陽の方向と夜の星で間違いなく西

に向かっていたことはわかっていた。 探検隊はとりあえず上陸できそうな場所を探した。ほどなくそれに適した入江を見つけ、艦隊は投錨

した。 早速上陸すべく、ボートに移乗した随伴の海兵隊が浜辺に到着。久々の陸を満喫しようと艦隊のほと

んどの者が上陸して野営することになった。もちろんルイスもギレムも上陸し、久々の陸地を踏みし

めていた。 エンリック・ド・シミアヌ卿は海兵隊員数名を選抜すると、海岸から100m程度の範囲を偵察させた。

奥地の探索は明日以降にするとして、まずは野営できる程度の安全確保をしようというのだった。 ギレムは今夜は船に戻って寝たほうがよいと思ったが、海兵隊や王子だけでなく、小型のコグの船員

たちも久々の陸地を喜んでいたのをみて、「野暮なことはいえねぇな」とだけ口にした。

数日後奥地を探検していた一隊が先住民との接触を報告した。 先住民はミクマクと自らを呼び、この地を「アカティ」だだという。ルイスは新たな土地につけるべ

き名前を温めてきていた。「理想郷」を意味するギリシャ語のアルカディア/Arcadiaだ。先住民ミク

マク族の「場所」を意味する言葉「アカティ」とも一致したことから喜んで「アルカディア」と命名

した。転じて後世このあたりをアカディア/Acadienneと呼ぶことになる。

ミクマク族とプロヴァンス兵

ミクマク族はウィグワムと呼ばれる円形の樹皮小屋に住み、森などで狩猟をして、オジロジカやアメ

リカクロクマ、ヘラジカやカリブー、鳥類、ビーバー、ヤマアラシなどを狩り、肉は食料にし、毛皮

は衣類やモカシンにしていた。農業はトウモロコシなどを栽培し、海でカヌーに乗り魚類を獲ったり

、貝の採集などしながら暮らしていた。クジラやセイウチ、タテゴトアザラシ、イルカ、海鳥、ロブ

スターなども獲っていたと言う。(ウィキペディアより) ミクマク族はカバの木の皮にヤマアラシのとげで象形文字を書く記憶術を持っていた。これに気づい

た探検隊に随行した宣教師はこの象形文字を応用して構文を作成できるようにし、教育や宣教に役立

てられないかと考えた。 探検隊は、アカディアは気候こそプロヴァンスより寒冷だが、住民も友好的であり概ね植民に適して

いると判断した。

探検隊はアカディアを後にして陸沿いに南へ向かうことにした。それにしても大きな島である。 10月16日探検隊は大きな川の河口部に中洲のある土地を発見した。中洲への上陸をしている最中に、

川上でカヌーを見たと報告があった。どうやらこのあたりの先住民が接触を試みてきたようだ。 ミクマク族のように友好関係を構築しなくてはならない。探検行はまだまだ先がある。

その夜、ルイスは波以外のものに酔うのは久しぶりだったのもあって、いつの間にか気持ちよく意識

を失っていた。 体を揺り動かされている感覚にまだ海の上にいるのかと思っていると、耳元で大きな声がしているの

に気がついた。 「王子、寝てる場合じゃありませんぜ」 貴族と名乗るのが恥ずかしくなるくらいのがっしりとした体格と野太い声。エンリック・ド・シミア

ヌ卿だった。 その様子から何かよからぬことが起きそうだと感じたルイスは靴を履いて天幕をでようとした。 船乗りたちを囲うように配置された海兵隊の野営地の北側の森から突如奇声が上がったかと思うと炎

をまとった矢が次々に打ち込まれた。 何者かが我が探検隊に襲いかかったのだ。 油断であった。敵はミラノか?フランスか?それともインド人か? 腰の剣に手をかけたルイスは突然抱えあげられた。 「ちょ、シミアヌ卿なにを!」ルイスは悲鳴をあげたが、岩山のような貴族は浜辺まであっというま

にルイスを運ぶと、ボートで船へ戻ろうとする船員にルイスを預けた。 「王子は船へ。」 何か言おうとするルイスに 「ここは我らが職場であります。臣下の手柄を横取りするようでは立派な主君になれませぬぞ。」有

無を言わさぬ口調でそういうと、船員にボートを出させ、自分はじゃぶじゃぶと海岸へ上がって炎と

叫喚の渦中へ戻って行った。

非常に不幸なとても不幸な先住民との接触であった。の奇襲攻撃で探検隊は473人の犠牲者をだしてし

まった。浜辺にはアカディア族の犠牲者も合わせて千数百の亡骸が散乱していた。ずっと先になって

わかったことだが、この戦いの後、この地でレナベ族を見かけたものはひとりもいなかったそうだ。

我が海兵隊の反撃によってアカディア族は滅んでしまったのだろうか。 後に判明したのだがマンハッタン/Manhattanの名は先住民のレナベ(デラウェア)語の「丘の多い島

」を意味するマンナハッテ/Mannahate、Manna-hataに由来するとされるが、一説によると「マナハク

タニエンク/Manahachtanienk」から来たと説明している。これは「我々がみな、酔っぱらいにされた

島」という意味である。

探検隊は今後は海兵隊の人数を増員する必要があると判断。連隊と輸送用のコグを加えるためアゾレ

ス植民地への撤退を余儀なくされた。。

第4回探検ではさらに陸沿いに南へ向かった探検隊であったが、大問題が発生していた。マスコギーと

いう土地で接触したクリークという大部族は探検隊の沖合への停泊と修理用の資材の調達、物資の補

給を断っていた(通行許可を拒否)。未知の海域を進んでいるとはいえ、船舶の損耗の激しさは予想

以上であり、探検隊は資材を使い果たしていた。ここで修理を行うための資材を手に入れられなけれ

ば探検の続行はおろか、アゾレス植民地への帰還もおぼつかない。

探検隊の生き残りのためであるとはいえ気の進まないルイスではあったが、探検隊の首脳の誰もが望

みその準備はできているという。ルイスはクリーク族の土地を奪う決意をした。 神の御名においてマスコギーはプロヴァンスの土地であると従軍神父に宣言させたが、敬虔な信者と

は言い難い探検隊一行にも、ちょっとだけ気持ちが軽くなる効果くらいはあったのだろうか。名目上

の探検隊の指揮権はルイスにあったが、実戦指揮は全てエンリック・ド・シミアヌ卿にゆだねてある

。あとはシミアヌ卿がうまくやるだろう。 海兵隊はボートで次々に上陸すると、先住民の村落へと進んでいった。こちらの動向は見張られてい

るだろう。間もなく戦闘が開始されるはずだった。

マスコギーを先住民から奪う戦いはすぐに終わった。ぼろぼろの探検隊艦隊は修理と補給を受けるこ

とができたのだが、クリーク族との関係は人と人との最悪の関係、戦争状態に入ってしまった。 当初、直ぐに関係の修復は可能だろうとたかをくくっていたルイスたち探検隊だったが、クリーク族

は交渉に応じようともしなかった。考えてみれば昨日まで自分の土地だったところに海の向こうから

やってきた得体のしれない人間が、その土地に旗を立てて飾りのついた十字の棒を掲げて「ここはオ

レたちの土地だよ」と勝手に言い張っているのである。常識的にどう考えても許容できる範疇の話で

はない。自分たちの住む町でそんなことをされたら誰だってクリーク族のように腹を立てるだろう。 クリーク族の反撃は欧州の規模で考えても大規模なものだった。 7000人のクリーク族が海兵隊連隊の駐屯地に襲いかかった。大規模な反撃は予想していたが、その前

に交渉が成立すると考えていた探検隊はけんもほろろに海上の艦隊へと退却した。 再上陸は無理と判断したエンリック・ド・シミアヌ卿は、マスコギーの一時放棄とアゾレス植民地経

由で本国への帰還をルイスに意見具申した。実はこの時クリーク族は北方のチェロキー族に攻め込ま

れ、追い詰められていたので、洋上でしばらく待機していれば再上陸も可能だったのだが、その時の

探検隊には知る由も無かった。

半島手前あたりでコグはぼろぼろで、もうアゾレスに戻れそうもなくなってしまう。クリークあるい

はチェロキーがマスコギーを支配しているが、これがその艦隊の助かる解かと思う。征服者を同行し

ていなければ可能性はぐっと下がってしまうが、ぼろぼろの艦隊を修理できるのは入港可能なプロヴ

ィンスのみであるので、マスコギーを支配するクリークなりチェロキーなりに宣戦してマスコギーへ

上陸、即植民地占領を行いとりあえず自国のプロヴィンスに変えてしまう。そうすれば艦隊の修理は

可能である。 通行許可をもらうだけでもいいのだが、許可を貰えない可能性も皆無ではない。 占領した場合講和しなくてはならないが、3個連隊では1万数千の戦士たちが現れるので速攻でもう一

つ二つ植民地占領をせずに落としておかねばならないが、交渉ができるのが一か月後なので、うまく

やらないと痛み分けすらしてもらえなくなる。 ここからさらに探検を続けるのなら、マスコギーを占領せずに通行許可をもらったほうが、未知の領

域の発見にも、探検隊の安全にもよいのだが、そのずっと後の事を考えるとマスコギーだけでも占領

してしまったほうが便利だ。 アゾレスが中核州となるのは50年先。そのころに北米到達可能な海軍レベルに達していればよいが、

プロヴァンスは無理そうである。であるならば、北米のプロヴァンスを占領しておいて、そこが中核

州になるのを待つほうが確実である。マスコギーからならメキシコ湾からキューバ、南米北岸への入

植が可能になる。もちろん、占領後すぐにでもマスコギーを中継基地として中米部族の征服を行うの

も可能である。ユカタン半島あたりに橋頭ほを作るほうがよいのでは?と思うかもしれない。だが、

アゾレスからユカタン半島では距離がありすぎである。コグでは上陸占領に失敗したらアゾレスまで

たどり着くことはできないだろう。 参考までにプロヴァンスからマスコギーまで無寄港でコグを行かせた場合、船体の損耗は約5割。寄港

せずに陸上戦闘ユニットを降ろしてそのままプロヴァンスに帰ると、耐久残15以下になることがほと

んどである。アゾレス~ユカタン半島までは、プロヴァンス~アゾレスまでよりも行程が長い。中継

基地としてのチョイスはぎりぎり往復できる距離のマスコギーに落ち着いた。イベリア諸国であれば

ユカタン半島でもいいだろう。


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