1649年1月30日。チャールズ1世が処刑され、これによりイングランドには王がいなくなりました。内乱状態に一応ケリがついたわけですね。ですが、アイルランドとスコットランドとは未だ交戦状態。まずこれをなんとかしなければなりません。
国家元首はオリバー・クロムウェル。共和独裁制だと称号が「護国卿」となります。でもこの段階で護国卿で良かったんだっけ? まあいいや。
行政8、外交8、軍事9。チートクラスの人材です。将軍としても射撃5、白兵5、機動4、包囲1。化け物ですな。提督と将軍も、数こそ少ないものの有能な人材が揃っています。
しかし悩み所は国策。
・権利章典(暴動発生率-1) ・操艦術の向上(海軍の士気+1) ・新世界の探索(探検家と征服者を雇用可能。植民地可能範囲+50%) ・造船技術向上(海軍司令官の機動+2) ・冒険的商業主義(商人の派遣コスト-33%) ・植民地探検(入植者+1/年)
……半分ぐらいは変える必要がありそうです。国立銀行*1は最低でも早く欲しいですし。 国教は改革派。国内はプロテスタントが主流派ですが、政策などの兼ね合いから異端への寛容度が0になっているため、当面は心配しなくてよさそう。段々には改宗していった方がいいですけどね。
後、やはり兵力が全然足りません。海軍49隻はともかく、陸軍17個連隊は少なすぎる……。これも早めに手当をしないと。
最初のミッションが来ました。順当にスコットランドの属国化です。……問題は既に戦争が始まってるってことですが。 タイトルの通り、今回の戦争は盟主はイングランドとアイルランド、スコットランドはあくまで「オマケ」扱い。しかし、本気で領土を分捕りたいのはむしろスコットランドの方です。
その為、まず初期にアイルランドに配置されている16個連隊の兵力を騎兵4個連隊とそれ以外の12個連隊(歩兵10個+砲兵2個)に分け、歩兵の方はアイルランドの城砦を落とすことに専念させ、騎兵の方は本土にある輸送艦4個船隊でブリテン島に輸送します。また、同時にブリテン島南部で歩兵6個連隊を組織します。ゲーム開始時の人的資源が7000弱なので、とりあえずこれだけ。
後は歩兵と騎兵を纏めて敵兵力にぶつけ、ゆっくりと全土を占領していきます。結局、1650年末には5州割譲で講和、その直後にアイルランドとも2州割譲+属国化で講和しました。 ……しかし、この段階でHTTTの怖い側面が出てきます。スコットランドとの戦争は互いに「大義名分のない戦い」扱いの為か、一州割譲ごとに3点の悪評。結果、アイルランドの属国化と合わせて18点も悪評が貯まってしまいました。暫くはおとなしくしなければなりません。
そして次の戦争で……と思っていた1652年、突然「ミッションの失敗」が画面に出ます。何事、と思い調べてみると……なんと、スコットランドがスウェーデンと同君連合を結んでいました。なんてこったい。 一旦スコットランドのことは諦め、打倒教皇領の方に舵を切ることにしましょう。
その後、冒険的商業主義にかえて国立銀行を国策にしたり、地方政策を様々に行ったり、植民を推し進めたり、とおしなべて内政面を整えます。合わせて軍隊も雇用。特にインドと新大陸にそれぞれ植民地があるため、そちらにも即応用に兵力を貼り付けなければなりません。もちろん、海軍の増強も必要ですし……中々大変。
そんな中、1654年にはインドでマイソールと解放戦争を行い、トラヴァンコールを独立させました。ええ、シンパ作りです。今回、基本的にアジア方面ではあまり領土を広げない方向で考えています。……何しろ、教皇領、ひいては旧教勢力とのガチンコを考えていますので。
さて、1657年にはちょっとした異変が起こりました。イタリア半島南部のスペイン領で蜂起した反乱勢力が、シチリア王国となって独立したのです。これはイタリア半島に領土を得る、すなわち教皇領の喉元に剣を突きつける絶好の機会! すかさずシチリアに帝国主義に基づいて戦争を仕掛けます。*2
……が、ここでまずいことに。カトリックの擁護者にして神聖ローマ帝国皇帝であるオーストリアが、この戦いに参加してきました。陸軍兵力20万を擁する強敵です。……あのー、こっちはオランダも合わせてやっと10万なんですけど……。
尤も、主戦場たるイタリア南部には途中の国が邪魔してやってこれないので、シチリアは二州割譲であっさり講和(悪評は+4)。とは言え、オーストリアは中々講和に応じてくれず……どころか、オランダが悲鳴を上げ始めました。ドイツ諸侯の領土を通って軍を送ってくるとは……。 こちらも慌てて虎の子のブリテン島防衛用の26000を投入し、野戦でオーストリアの遠征軍を殲滅します。その後もぐだぐだしましたが、結局1660年にようやくイングランドが敗北を認める*3ことで講和となりました。 しかしこれは、今後教皇領を攻め滅ぼそうとした場合、信仰の擁護者の介入が予測されることを示しています。それをはねのける為に、さらなる力をつけなければ……。
その翌年、最初の護国卿にして強大な指導者であったリチャード・クロムウェルは死の眠りにつきます。 彼の次に議会の指名を受け、第二代護国卿となったのはホレーショー・ブロック。どちらかと言えば政務家寄りの彼が護国卿に選ばれたのは、イングランドを安定させることを国民が望んだからでしょうか。 しかし、彼の元でイングランドは予想もしなかった大きな戦争に巻き込まれることになるのです。
名称未定に続く