交易レボルーション 交易革命 ハンザではなく同盟的でもなく帝国であった

激動の18世紀

18世紀は民族の世紀

 18世紀は、民族の世紀といわれている。  その幕開けは、1702年のボヘミア・ハンザ同盟軍とロシアの和平である。  リャザン、ポロツク、リトアニア、プロイセン、ニジニ・ノヴゴロド、サポロージエ・トヴェリ・スモレンスクの8カ国が独立をしたのだ。  ロシアの収入も158.4から99.0と3桁から2桁に落ち込んだ。

 恥知らず同士の国とはいえ、派手に独立させたものだ。

ブラバント消滅

ブラバント壊滅

 ネーデルランドの強国ブラバントは、北部ドイツを支配下においていた。  1830年にドイツ民族の統一を合言葉にしたオーストリアが来襲し、ブラバントは大敗しドイツ地方の領土を放棄せざる終えなかった。  その直後、ハンザが、民族の統一を元にブラバントに侵攻。ブラバントは、ほどなく消滅した。

 オーストリアに、兵力をすべて駆逐された直後に蹂躙したので、えげつないですね

イベリア半島の混乱

カスティーリャ遷都

 英仏の永い戦争がようやく終わったとき、フランスは、驚くべき行動に出た。  カスティーリャに電撃的に侵攻したのだ!!

  国 名  収入陸軍LV騎兵歩兵砲兵総兵力人的資源
カスティーリャ464.3 32 70,00091,00014,000175,000128,000
フランス112.3 31 46,00053,00013,000112,000145,000

 どう見ても、フランスが不利に見えるのですが、フランスがイベリア半島を蹂躙  イベリア半島の北半分はフランスの領土となった。

 カスティーリャは、イベリア半島以外に、北アメリカ、トルコ、エジプト、北アフリカに分割していたため、一転集中したフランスに勝てなかったと思われる。

 これにより、威信が低下したカスティーリャは、植民地の独立活動などもあり、世界一から転落し、没落することとなった  「太陽の没することなき帝国」は「太陽の没する国」と言われるようになった。

恥知らずの国「ハンザ」

戦闘

 1751年に、ブラバントを完全に併合したハンザは、BBが35*1を超えた。  ブラバントの亡命政府は、世界各国でハンザのネガティブキャンペーンを行った。  ハンザ包囲網が完成し、チューリンゲン・クールラント・ルクセンブルク・ブランデンブルク・ポルトガル・シチリア・リューネブルク・大越・シエナ・エノーが参戦した。  もちろん、ドイツの雄オーストリアも参戦した。

  国 名  収入陸軍LV歩兵騎兵砲兵総兵力人的資源
ハンザ421.4 45 111,000013,000124,00034,000
オーストリア351.3 46 82,00095,00020,000197,000192,000

*1 ブラバントがオーストリアの独立保障があり属国ミュンスターへの戦争のため

トップ   新規 一覧 検索 最終更新   ヘルプ   最終更新のRSS