ノヴゴロドへの長征にいったん片は付いたものの、東南アジアを統一しつつあったクメール朝が残っていた南明を吸収、モンゴル帝国と国境を接する。 休む間もなく中国方面軍を動員し戦いが始まった。
しかし東欧との軍で鍛え上げられた軍はもはやアジア技術の軍など敵ではなかった。 かつてクビライ・ハーンがあきらめた地、南方へ騎馬民族モンゴルは出兵する。 だがここに罠が待ち構えていた。
元々遊牧民は反乱確率+5%というハンデを背負っている。 したがって我らの最大の天敵は厭戦感情といっても過言ではない。
遊牧民の戦い方は武装や質は劣っても高い士気の大軍を持って敵を圧倒し敵をしとめるものだ。 ところが東南アジア地域は熱帯であり扶養限界がもともと低い、さらに移動に時間のかかるジャングルや山岳などもあり、大軍を動員するには向いていない。 もっとも遊牧民にとって戦いづらい地形でもある。
戦いそのものは圧倒的にモンゴル側が優勢なのだが、厭戦感情がじわじわと上昇を続けていく。 ほんの僅かだが徐々に歯車が狂い始めてきた事を、この時のモンゴル帝国の首脳達はまだ気づいていなかった。
中央アジアに目を向けると、同盟者であるティムール朝の崩壊が始まりつつあった。
理由はたった一つ、定住民の軍に勝てなくなってきたからだ。 先ほど述べたように、遊牧民の戦術は大軍の集中投下による敵主力撃破だ。 つまり大軍を集める必要があるので必然、厭戦感情は上がる。 本来であればこの上昇分を、敵洲征圧後の略奪による厭戦感情低下で抑えるのが遊牧民の戦闘システムの根幹となっている。
ところが、いよいよ定住民の技術力が上がり遊牧民の軍が勝てなくなってくると、大軍の敗北と損耗による厭戦感情の増加のダブルパンチを受けることになる。 まだ完全に滅ぶほどではないだろうが、徐々に、そして確実に遊牧民の優位性失われつつある時代が訪れつつある。 それはティムールよりも遅れてイスラム技術化しているわがモンゴル民族も同じであり、モンゴルが技術を手に入れ世界の覇者となるか、はたまたティムール同様、歴史の渦に消えるかは、カーンの采配にすべてがかかっている。
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