モンゴル再興 ~DWモンゴル汗国で世界帝国~

華北騒乱 1482年

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今回の反乱は華北、旧チャガタイ領で主に勃発。これでもずいぶんマシな方

武勇に優れた4代目、イェスン・カーンはたちまちのうちに王位僭称者らを打ち滅ぼす。 だが若きカーンの目はこんな反乱鎮圧には向いていなかった。 彼の眼には南に広がる肥沃なる中原の地に向けられている。

ここ20年の間にモンゴル平原、満州をはじめとし中核州が増え税収も上がり始めており、 モンゴル軍は今や7万の規模に膨れ上がり、もはや明軍に勝るとも劣らない程となった。

曾祖父が耐え、祖父が興し、父が地盤を固め、息子が征服する。 遂に明に対し大規模侵攻を行うときがやってきたのだ。

中原、蒙古襲来 1484年

継承争いの期間は終わり、直後に明との戦端が切って落とされる。 モンゴルの誇るの騎兵、マングダイ3万が華北側と涼洲の二手に分かれ、侵攻を開始する。 率いる将軍も白兵戦6といった一線級の将軍たちだ。

明軍主力を一気に打ち破り殲滅、明の軍が再編する前に中原を走り回り敵軍の立て直しを遅らせる。 直後、殺戮軍に続いて後続の制圧軍が占領と略奪を開始する。 目的は開封府、ならびに皇帝の座す南京と定められた。

元を北の草原に追いやった明、だが100有余年後再び北からの侵略を受ける事になろうとは明の民も思っていなかっただろう。

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首都南京に迫る蒙古軍。この勢いはもはや止められない

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