明との戦い方を覚え、いよいよ全土に対し侵攻を開始する。 しかし、それは幾度も侵攻、そして人的資源が尽きたら停戦を繰り返す長い時を必要とするものだった。 1448年、北京とその周辺4州を制圧し、人的資源からいったん停戦。 その5年後、さらに南進し、開封府に迫った。 しかしここで、付け入る隙があると見たのかカザフスタンが侵略を開始する。 ちゃんと全力で戦えれば十分勝てるのだが、 まだまだ両面の敵に対し戦えるほどモンゴル軍はゆとりがない。
それでも戦いを継続していると、 向こうから満州の属国解除の要求で手を引くとの使者が来た。 これは…逆に好機ととらえるトゥルイ・カーン。 つい先日、満州は我が国の文化として受け入れられるようになった。 つまり本土と同じ収入、人的資源のアップが見込める。 わずかな朝貢よりも直接制圧のほうが実入りがあるとしてその提案を受け入れることにした。
解除と同時に戦闘開始。 できれば明との戦いが始まるこの5年の間に決着をつけたい。
満州はたやすく屈服し、1州をあえて残し、属国&朝貢で満州は完全にモンゴルのものとなった。 もしかしたら満州が北へ開拓してくれるのではないかという淡い期待も込められている。
当然ながら朝鮮と国境を接することになるので朝鮮と戦争の口火が切って落とされた。 満州征服軍をそのまま朝鮮征伐に向ける。 目的は属国化か朝貢で、半島でおとなしくしてくれればそれでいい。 朝鮮は13000の兵を繰り出してきたが、明軍や満州軍と違いほぼすべてが歩兵で構成されている兵だった。 明との戦いで鍛えられたモンゴル軽騎兵、マングダイの敵ではない。 鎧袖一触蹴散らし、これから全面制圧か、と思われたその時、 南側から上陸し制圧を開始する明軍。 タイミングを計ったかのように朝鮮に宣戦していたのだ。 おかげで明とモンゴルで朝鮮の土地の陣取り合戦がはじまった。 こちらに主力をかたずけさせ領地を手に入れようとは明軍はひどい手を使う。 (オイラトの時があるのでこれもあまり人のことは言えない…) こちらは朝貢で手を打ち引き揚げたが、明に容赦なく領土を割譲され、朝鮮半島の半分の支配を失うことになった。
その後支配権を強化するために、東では反乱軍を鎮圧し、南では明と戦いじりじりと征服地を広げ、西ではカザフす乱や反乱軍の独立に対応していた矢先に、トゥルイ・カーンが逝去した。 3代目は明に勝てる地盤を作り、武勇に優れた息子に後を託す。
1487年 南京陥落 1489年 開封府陥落