モンゴル再興 ~DWモンゴル汗国で世界帝国~

三つ巴 1439年

遊牧民の継承争いは2年間つづく。 その間はいつものようにが隣国と勝手に開戦してしまう事はないのだが、 2年たつと国内情勢がどれだけ混沌としていようが開戦してしまう。 今回の反乱は極めて大規模なもので、反乱軍を殲滅させる前に明が攻めて込んできてしまった。 たちまちモンゴル国内で、モンゴル軍、明軍、反乱軍の三つ巴の戦いが始まった。 うまく明軍と反乱軍をぶつけ漁夫の利を狙い、 ある程度双方消耗したところで明とは朝貢で講和に持ち込み、弱った反乱軍を叩き潰す。 先の戦いで損耗した影響がここまでモンゴル軍を弱体化させていたのか。 新王になって早々、手痛い洗礼を受けてしまう結果となってしまった。

モンゴル軍弱化? 1444年

ここ何戦かして、なぜか明軍に勝てなくなってきた。 モンゴルと明軍の兵の強さも、士気も特別負けているわけではなく、 むしろ将軍の質の差ではこちらに大きく分があり、 部隊数もお互い15部隊とほぼ同じ条件なのに負けてしまう。 明の領地を奪取するどころか、以前のように朝貢に持ち込むのが一杯一杯になってしまった。 なぜだ?

どうやら部隊の内容に問題があったようだ。 モンゴル軍の部隊編成は、すべて歩兵10000+騎兵5000の編成に対し、 明軍の編成は騎兵15000で構成されている部隊があった。 騎兵は歩兵の2倍の突撃力があるので、歩兵換算で言うと、モンゴル軍20000、明軍30000ということになる。 これでは負けても当然だ。 しかし、モンゴル軍には資金力がない。 元々数に劣る上に明軍と同じ編成にするのも到底無理な話だった。 豊富な資金力にものを言わせた明軍に立ち向かうにはどうすればよいか、トゥルイ・ハーンは考える。

機能分化、殺戮軍と制圧軍

トゥルイ・ハーンは軍制改革を行う。 既存のモンゴル式、すなわち何でもできる軍を複数持つのではなく、 明軍決戦用の殺戮軍と、その後ろにつき、占領して回る制圧軍に分化したのだ。

殺戮軍は騎兵14000+歩兵4000、占領軍は歩兵のみ12000とした。

決戦 1448年

再び戦の時がやってきた。 新たな軍制で明軍7万に挑む5万のモンゴル軍。 両者が国境で激突する。 要は敵明軍15000の騎兵と、新たに編成したモンゴル殺戮軍の勝敗だ。

結果はモンゴル軍の逆転、圧勝に終わる。 ここで、遊牧民の特性が大きく味方する。 騎兵の割合がある一定以下の時、諸兵科ボーナスという攻撃ボーナスがつく。 これが遊牧民はなんと100%なのだ。 一方定住民は30~40%がせいぜいなので、明軍にはこのボーナスは付かないが、遊牧民には付く。 この差も大きかったのか、予想以上の大戦果をあげ、文字通り明軍を虐殺することに成功する。

mongo30.jpg
100%といっても1部隊は歩兵を入れないと諸兵科ボーナスは発動しない

華北陥落 1448年

制圧軍が引き絞られた弓から放たれる矢のように華北諸地域に襲いかかる。 まとまった数の明軍が出てきたら虐殺軍が迎撃する。 以前は簡単占領済みの土地が明に取り返されていたものだが、 今回は寄せ付ける事すら出来ずに次々と明軍は撤退していく。 そうこうするうちに北京以北の土地は恭順の意を示し、遂に制圧するに至ることができた。

しかしこちらの人的資源も無限ではない。 徐々に息切れを始めるモンゴル軍。やられてもやられても北へ押し寄せる明軍。 完全に取り返しのつかない事態に陥る前に、こちらが敗北を認める講和した。 しかし、いつも大きな負担となっていた朝貢を行わず、しかも有力な華北の州である遼東、遼西を奪取したので、実質的にはモンゴル軍の大勝利といえる。

mongo31.jpg
遂に北京以北を掌中に収めた

モンゴル再興 ~DWモンゴル汗国で世界帝国~へ戻る モンゴル再興(11)へ進む


トップ   新規 一覧 検索 最終更新   ヘルプ   最終更新のRSS