前回プレイレポ/聖ヨハネ騎士団東征録/Hospitaller(10)
1600年3月、ボヘミアと戦争中のオーストリアに対し再征服戦争を開始 オーストリア軍も各個撃破で蹴散らして行き1603年5月に講和
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1州割譲、カソリックに改宗及び2国の独立をさせる 内ゲバしてる奴らなぞ敵ではない!(慢心)
同年同月、インドのグジャラートの征服を開始 まず1604年6月に3州割譲で講和
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1606年5月、6つ目の国策に連帯制度を導入 陸軍維持費低下と規律上昇と良い事尽くめ
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1608年8月、アマルリック3世逝去 今回は微妙な能力
休戦終了後の1611年2月に再度攻撃を開始し、 同年9月に首都をを除いた州を割譲させる
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1613年2月、マールワに宣戦し、
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同年9月に首都以外を割譲させた
後は両国をミッションで征服併合するだけだ
BBRが16とかなり上昇していたので周囲の様子を見ながら時間を進めていると、 再び東西を繋げたモスクワがスウェーデンに侵攻しているのを確認 この隙を突き、モスクワを叩きのめすべく1614年3月に宣戦 すぐさまモスクワはスウェーデンと講和(スウェーデンをカソリックに改宗)し、 軍を返してくるも既に厭戦感情が10を超えて弱体化していた為それほど苦戦はせずに 各地を占領していくことが出来た
そして、3年後の1617年3月に9ヶ国を独立させて講和となった
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これでモスクワが東進する可能性はかなり低くなっただろう
1621年9月、デリーに宣戦 インド方面軍90000に対し、デリー軍は126000 しかしデリーは安定度-1と厭戦感情は約15と弱体化していたので 会戦で各個撃破することが出来た
1624年6月、デリーに12ヶ国を独立させ講和
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インド北部がカラフルになりました
今回はここまで、次回プレイレポ/聖ヨハネ騎士団東征録/Hospitaller(12)へ