オスマン帝国との死闘

チャンス到来
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1521/4 ついにまちに待ったシチュエーションがやってきた。 オスマントルコがオーストリア・カステラ・ユトレヒト同盟、フランス・ブルゴーニュ・ロレーヌ同盟と同時に戦争を開始したのである。

バルカン半島は今回参戦している両方の同盟連合のがんばりによりワラキア以北はオーストリア・カステラ・ブルゴーニュが分割統治している状態だったので、 いつかはこういう事態が起こると思って待ってました。 オスマントルコは北進に失敗しているとはいえ、常時、4万の軍勢を維持しているので攻めづらかったのですが、 今回の戦争で国境線に見える数は12000たらず。

一方、こちらは数年の平和の間に騎兵を19000まで増加させているので必勝確実。

オスマン・ワラキア・クリミア VS モレア連合

宣戦布告後、速攻で敵部隊を集中攻撃で蒸発させていきます。

敵の主力はオーストリアが引き受けてくれているので、バルカン半島南部の敵軍を壊滅させた後にオスマン領土を攻略。

と思ったら、フランスがカステラがと戦争始めやがった。 今までも何度かフランスとカステラがドンパチやっているのは確認しているのですが、直近の戦争でグラナダ解放をカステラがさせられていたようで グラナダがカステラに宣戦布告したのが発端の模様。展開がカオスすぎますがな。

まあ、でもフランス艦隊がしっかりとオスマン艦隊を押し捲ってくれているのでペロポネソス海峡を無事渡ることができました。

1524/7 オスマン帝国と5州割譲+賠償金75Dで和平。 シリストラ・エディルネを我が国が領有したことにより、イベント『アナトリアへの遷都』の発動条件がそろいました。 まだフランスと戦争中なようなのでイベント発動まで終戦待ちです。

1525/3 オスマン帝国がフランス停戦したことによりイベント『アナトリアへの遷都』が発動。 オスマン帝国は首都をトラキアからブルサに遷都。 これで、次の戦いで念願のトラキアを奪うことができます。


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