(承前)
ジュクジュル、パプア、カガヤン、グアムを獲得、「新世界の探索」により探検家を入手した称光は、南方オーストラリア大陸およびハワイの探索を命じた。 1511年、オーストラリア大陸を発見。しかしスールーから遠すぎて入植できず。海軍技術を向上させ、補給線船の到達範囲拡大を図った。 1517年、探検家浅井聖武がグアムを起点に決死の大東征を実施した。日付変更線を超え、ポイント・オブ・ノーリターン寸前で 2隻のガレー船がついにハワイ諸島を発見した。島の原住民は日焼けした日本人水夫が漕ぐガレー船を 見てどう感じただろう。あまり技術レベルに差はないと考えただろうか。 ガレー船の速度は8、現在の造船技術で建造できる船の中で最速なのだ。キャラック船とコグ船は速度5に過ぎない。
原住民は好戦性9.0、凶暴性2.0の5000人。戦闘力は凶暴性により決定するため、彼らはさして精強な兵士ではない。だが、同数の兵力を太平洋を 横断してハワイまで運ぶのは、この当時の日本には大変な難事業なのであった。
1524年 ガビーガビー獲得。 オーストラリア大陸初の日本植民地である。優秀なアドバイザー、今川那輔による植民地化可能範囲+30%補正で入植できた。
1525年 サムトイ獲得。 1531年 オホーツク獲得。
探検家は一人の入植者と約60ダカットをを消費しないと得られない貴重なユニットだ。探検家は拡大する日本の視界の先端に立ち、白波を 蹴って太平洋、オセアニア、そしてインド洋を渡っていった。彼らは水平線に向って放たれたあこがれの矢だった。
1533年、私が5度目人生を終えた頃、日本はインドを統一したデカンと友好関係を結び通行許可を得た。ここはインド洋探検の拠点となるだろう。 実は気になる情報を得ていた。 アラビア半島にカスティーリャが進出しているらしい。 すべてのインド人、アラビア人に告ぐ。彼らは単に色が白いインド人ではない。今後数世紀、世界に悪名を轟かすヨーロッパ人なのだ。 諸国民よ警戒せよ。
1536年 ハワイ獲得。 1537年、アラビア半島のアデンを併合。カスティーリャが隣国となる。 ラテン国家と隣国になるのが西欧化の条件かと思い込んでいた。実際、HttTではその必要はない。
1538年は二重に記念すべき年となった。 探検隊、前田益世がアメリカ西岸のプロヴィンス、コチミを発見したのだ。まだ植民可能な距離にはないため指をくわえて見ていることしか できないが、さいわいヨーロッパ諸国の姿はまだ見えないようだ。
そして、ついに西欧化第一段階、イスラムへの変更が可能になったのだ。 1399年の段階で中央集権+2、革新主義+1だから、政策スライダー的には、下記西欧化条件は最短で1470年代に満たせると思う。
Httt西欧化条件(まずは中国→ムスリム技術グループ) 中央集権と地方分権が-1より小さい 革新主義と保守主義が-2より小さい 安定3以上 元首の行政能力6以上
私の行政能力は7。安定度も+3だ。よって、下図のように「西欧化」の輝かしい三文字がアクティブとなっていた。
代償は安定度-5! わが国はプロヴィンス数40で明の半分程度に達している(人的資源は21000人程度だけど)大国である。回復には概算で50年かかるだろう。 まあ、アドバイザーで安定度回復をブーストするが、悠久の時間がかかることは間違いない。 これは小学生のインフルエンザ予防接種と同じ、避けられないプロセスなのだ。 ぽちっとな。
生産と統治技術への投資が消化され進歩した。 霧がかかっていたヨーロッパおよびイスラム圏が可視化された。
世界最先端のカスティーリャの技術レベルが全体的に15-17に達しているのに対し、わが国で最も進んでいる統治レベルですらレベル10。 次の技術グループの向上は早期に行いたい。
また、 中国・新世界技術グループとかで二回目の西洋化が出ない(HttT日本語版)という問題は、wikiを参考に下記の対策をとった。 「Europa Universalis III\decisionsフォルダのwesternisation.txtというファイルの36~39行目を変更」